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発行者 現代社

東京都杉並区下高井戸1-34-9
万国の労働者団結せよ!

革命的労働者協会
(社会党・社青同 解放派)

【解放 945号〜947号 (2009/11/15〜12/15) 論文 】【 以下、無断転載・無断作成 】


世界恐慌下の革命党の任務

〔1〕2008年世界恐慌の爆発……………………………………………「解放」945号
〔2〕戦後世界体制の崩壊と2008年恐慌………………………………「解放」946号
〔3〕現在の恐慌の性格と革命党の任務…………………………………「解放」947号


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〔1〕2008年世界恐慌の爆発..................................


08年世界恐慌の現段階

 二〇〇八年九月十五日、アメリカの投資銀行「リーマン・ブラザーズ」の破綻を引き金として世界恐慌が爆発して一年を経過した。

 震源=米帝足下において、大手金融会社はことごとく破綻し巨大製造業も倒産に追いこまれ、恐慌はさらに破壊力を増しながら、資本主義世界経済を崩壊の淵に追いこみつつある。

 ブルジョアジーは〇九年春以降、「経済危機は底を打った」とむなしくその願望を語りそのたびに事実をもってその破産をつきつけられてきた。喧伝される「景気回復」は各国政府による際限のない政府支出の拡大(大企業の救済措置)と中国政府の経済支援策の一時的効果によってもたらされているにすぎない。いつまでも続くはずもない財政支出の拡大は、その縮小あるいは停止とともに急角度でさらなる恐慌の激化をよびおこす。ブルジョアジーは恐慌が「二番底」「三番底」をつけながらさらに激甚化し、プロレタリア・共産主義革命の爆発につながることにおののいている。

 ついに世界最大の自動車会社として百年近くにわたってアメリカ経済の中心に位置してきたゼネラルモーターズ(GM)が〇九年六月、破産法一一条を申請して破綻した。GMの負債総額は千七百二十八億ドル(〇九年三月末時点)であり、破産法を申請した米製造業では過去最大規模である。GMはこうして国家が最大の株主になり実質的に国有化された。

 GM破綻の影響は計り知れない。GMは米国で九万人、世界で二十三万人の労働者を雇用している。また退職者を十五万人抱えており、その年金医療保険制度も崩壊しようとしている。七月には「新生GM」が発足したが、米工場に働く労働者は四万人にまで首切りされ、残った労働者も大幅な賃下げと、医療費保障などの半減措置を強いられた。

 GMはたんなる自動車産業ではない。GMACというGM関連の巨大金融会社を抱える金融機関であり、バスや機関車、さらには家庭用冷蔵庫のアメリカ最大のメーカーでもあった。そして決定的には巨大な軍需産業であり、航空機用工ンジン生産ではそのビッグスリーのひとつである。

 GMは「大きすぎてつぶせない」といわれてきたが、それは単に量的な意味だけではなく、質的な意味においてアメリカ帝国主義が全世界を反革命的に支配するうえで欠くことのできない巨大企業でありつづけてきたからなのだ。

 GMの連邦破産法一一条申請による破綻処理の目的のひとつは、全米最強の労組=全米自動車労組(UAW)をつぶすことにあった。

 UAW所属の自動車産業労働者の「高給」がGM破綻のやり玉に挙げられた。労働時間一時間あたり賃金は、アメリカの全産業平均で二八ドル四八セント、全米製造業平均で三一ドル五九セント、これに対して米自動車産業は七三ドルニ〇セントである。日本の自動車メーカーの賃金は四八ドルであり、これが日本車に負けたアメリカ自動車産業の高コスト体質だといわれている。しかし、時給を七十ドルとした場合、その内訳は、賃金相当分が四十ドル、十五ドルが現役労働者の社会保証費分、残りの十五ドルが退職者の年金、医療保険料である。

 この賃金以外の付加給付部分が拡充されてきたの一は、元来UAWが闘ってかちとってきたものだが、同時に、アメリカでは公的な社会保障制度が貧弱なため、労働力確保という面から個別資本がそれを代替したという側面がある。アメリカの企業では第二次大戦中に、インフレを回避するために製造業の賃金上昇をおさえ、代わりに将来の年金をあつくする方策をとった。アメリカの産業が圧倒的に強かった戦後五〇年代、六〇年代には、GMなどの大企業は労働者の要求にこたえるかたちで年金と医療保険を充実させていった。

 単純に七三ドルと四八ドルの対比として語られるUAW労働者の「行き過ぎた高賃金」は、作られた反労働者的デマである。医療費・年金部分が切り縮められている日本の自動車メーカーの賃金四八ドルと単純に対比して、米自動車産業労働者の賃金が七三ドルであるとするのは、数字の操作がある。

 さらに白動車産業は強力な労働組合の存在を嫌い、クローズドショップ制を認めない労働権法をもつ南部諸州に工場をつぎつぎに移転していった。その結果、かつては自動車部品部門は九〇%が組合に組織されていたが、今日ではその組織率は逆転しわずか一〇%にすぎず、自動車産業全体に「非正規」労働者が増大し低賃金が強制されている。

 レーガノミックスをおし進めたフリードマンの弟子どもは、GMの破綻をチャンスとして「労働協約を無効にし、医療費負担などのコストを大幅に減らして、早期に経営を立ち直らせよ」と叫んでいる。この要求は現にオバマの要求でもある。オバマはより大規模な合理化を徹底的におし進め、自動車産業労働者が闘いとってきた地平の破壊(UAWの解体)をテコに、アメリカ労働者階級全催の首切り・賃下げを進めようとしている。

 資本制生産を救済するために大資本に注ぎこまれた政府支出のツケは、すべて労働者人民の血と汗によってあがなわれる。首切り・餓死のどう喝によって強いられる徹底した搾取労働。急激(増税)か緩やか(インフレ)かの別はあっても無慈悲にむしり取られる強収奪。同時に、労働者人民が闘って権力・資本に強制してきたさまざまな社会保障制度(医療、年金、介護など)や労働者保護規定、教育制度上の優遇措置などが廃止・改悪されている。

 米財政赤字が増大しつづけている。米政府の二〇一〇会計年度(〇九年十月から一〇年九月)の予算教書によると、〇九年度の財政赤字が一兆八千四百十億ドルにふくらむ見通しとなった。これまで最大だった〇八年度の四千五百九十億ドルの四倍、国内総生産(GDP)の一二・九%の規模に達すると見られている。アメリカ政府は、今後十年間での政府債務が十七兆ドル超(GDP比で七五%超)に達すると予測している。長期化する世界恐慌は、この額をさらに天文学的数字におしあげていく。倒産の危機に瀕した大企業の税金による救済の拡大、イラク・アフガニスタン戦費支出の持続的拡大、恐慌にともなう税収減少など財政赤字の未曾有の拡大は避けられない。財政赤字は最終的には、長期金利が高騰して米国債が格下げされ誰もアメリカ国債を買うものがいなくなり、同時に税収=予算のなかで国債償還費が増大し財政破綻をまねく。しかし、米帝は基軸通貨国の「特権」として、支払い危機は生じない(ドルを増刷すればよいからである)。だが、ドルでの支払いを拒否するようなドル受け取りの上限は存在する。この過程が同時にドル安の進行=ドル信認の崩壊過程なのだ。

 これは同時にアメリカ国債保有高の世界一位と二位の、中国と日本の国家的破綻に直結する事態となる。その回避のためにも中国・日本は当面は米国債を買い支えるしかない。

 他方、大口のアメリカ国債購入者であった中国が外貨準備をドルからユーロに徐々に切り替え、さらにロシア、ブラジルとともに国際通貨基金(IMF)債券をSDR(※)建てで購入する動きを見せている。SDRは基軸通貨ドルの代わりを果たすことはできないが、このように外貨準備のなかにSDRをより多く利用する流れは、ドル信認の崩壊過程でさらに強まって.いくだろう。
 この動きは、基軸通貨がドルからSDRに移る、あるいは金本位制に復帰するということではないが、世界市場の動揺をさらに拡大させ世界恐慌の打撃をより深くし、恐慌が資本主義世界経済を長期にわたって撹乱しつづけることになるだろう。

 失業が急増している。アメリカの失業率は九月についに九・八%に達し、失業者総数は千五百万人を超えた。失業者の波は冬に向かってさらに増大していくと見られている。二九年恐慌が最悪の失業率を記録した三二年には全体で二五%、農業をのぞく失業率は三六%にも達した。今回の〇八年世界恐慌は二九年恐慌当時と比べて失業対策がしっかりしているのでそこまで悪化することはないだろうといわれている。しかし、失業者数はこの一年で七百万入も増加し、就業している労働者もその多くがサービス産業に働く不安定な「非正規」労働者である。

 さらに〇九年末にかけて、失業保険給付をうち切られる失業者が続出している。一年前から急増した失業者に支払われてきた失業保険が、給付期限を経過した労働者から順にうち切られている。サブプライムローンを破綻させた住宅市場は、依然として崩壊したままであり、〇九年五月の住宅着工件数は〇八年五月と比較して四五・二%の減少となっている。新たな職はなく失業保険もうち切られ住む家を失い路上に放り出され、飢餓の脅威にさらされる労働者が急増しているのだ。これが米帝における恐慌の現実である。

 米帝を震源とし、勃発一年を経た〇八年世界恐慌は、資本主義世界経済をさらに深く激しくその崩落の泥沼にひきずりこみつつある。恐慌は、全世界の、とりわけ「後進国」における失業と飢餓としてますます労働者・入民に対する矛盾を深化させている。

29年恐慌と対比した08年世界恐慌の特徴

 二九年恐慌は、十九世紀中期におよそ十年ごとに「不況−活況から好況−恐慌−不況〜」という循環でくり返された恐慌とは現われかたが異なる世界恐慌として爆発した。

 資本主義は、一八七三年から二十年あまりつづいた大不況を経て、独占資本を規定的資本とする帝国主義の時代へと向かい、九八年の米西戦争、九九年のボーア戦争を画期として、帝国主義戦争の時代に突入していく。第一次世界大戦は世界の基軸通貨がイギリス・ポンドからアメリカ・ドルに移行する端緒をなした。

 第一次大戦以降、アメリカのドル資金はドイツに流入しドイツの経済復興を促進した。ドイツは英仏に対して賠償金を支払い、英仏がアメリカに対する戦時債務を弁済して資金が環流する世界的流れが形成された。これを条件として一九二〇年代の世界的な景気拡大と金本位制の再建が進んだ。

 一九一七年のロシア・プロレタリアート革命の勝利は全世界階級闘争の高揚を切りひらき、そしてこの資本主義の危機を徹底して加速した。

 二九年恐慌は、第一次世界大戦で世界の「兵器工場」となり戦火を被ることなく莫大な利益を手にしたアメリカで爆発した。
 二九年恐慌に先行するかたちでアメリカでは農業恐慌(農産物価格の下落)が発生したが、自動車産業を中心としたアメリカ経済の高揚は持続した。形成された過剰資金は投機資金としてまず土地に、そして株式に投ぜられた。二七年から二九年にかけて株は高騰をつづけ時価総額はおよそ二倍になった。
 二九年十月二十四日のニューヨーク証券市場の崩落で始まった大恐慌は、二九年から三三年まで鉱工業産業を急角度で下落させ、三三年からやや徐々に上むいたが、三七年にまた下落し、(二九年から三三年までほどの急角度ではないが)四一年ころまで十年以上にわたって長期の下落が進行した。

 恐慌は、一挙に世界へ波及し、世界恐慌として爆発した。とくに、植民地や「後進国」では、すでに農業恐慌にさらされ第一次産品の価格低落にあえいでいたところを世界恐慌に直撃され、いっそうの価格下落が襲い、モノカルチャーの産業構造はひとたまりもなくそれに飲みこまれていった。各国はその結果、財政破綻をきたし金本位制を離脱して為替管理体制に移行した。

 米帝からの資本流入で経済再建を進めていた敗戦国・ドイツもまた同様だった。一二年五月オーストリア第一の銀行クレジット・アンシュタルトの破産はドイツの金融機関にただちに波及し、七月ドイツ最大の銀行ダナート銀行が営業停止し、恐慌はドイツ金融界をパニック状態にたたきこんだ。ドイツから外国資本が逃避し、ロンドンの短期債務が両国で凍結されることによって、再建金本位制=ポンド体制はその支柱を失い、同年九月には崩壊した。

 アメリカの鉱工業生産指数は、二九年から三二年にかけてほぼ半分となった。企業はバタバタと倒産し、企業数は二九年の二十万七千社から十三万九千社にまで減少した。
 三二年後半から翌年にかけて空前の銀行恐慌が襲ってきた。小銀行の破産から三〇年末になると大銀行の破産が発生し、三一年六月になると、不動産担保貸付の焦げ付きで銀行閉鎖が多発した。三二年二月になると恐慌は最悪の状態に陥り、未曾有の銀行恐慌が爆発した。全国で取り付け騒ぎが発生し、ついに二月二十五日から三月四日まで四十六の州で銀行の全国一斉休業がおこなわれた。銀行恐慌はますます激化する一方だった。失業率は、三三年に二四・九%に達した。

 この過程で労働者入民は激しく階級闘争を闘った。
 三二年三月七日、デトロイトでフォードに対する要求をかかげたデモ隊に銃撃が加えられ多数の死者を出した。また三二年五月、退役軍人のボーナス要求デモに対し、時の大統領フーヴァーは要求を拒否、マッカーサーに命じて戦車と騎兵で弾圧し、解散させた。この後も三〇年代の全過程をつうじて、全米をストライキと農民争議の波が席巻しつづけた。

 このなかで三三年三月四日、ルーズベルトが大統領に就任した。就任直後、彼は銀行の一斉休業を命じ、議会で緊急銀行条例を成立させた。ルーズベルトは大量国債発行による積極財政を実行した。しかし、まったく生産力は上向かなかった。アメリカが大恐慌の打撃を克服し、大恐慌前の生産力水準を回復したのは、やっと四一年になってからであった。

 ルーズベルトがケインズ政策にもとついて赤字国債を大量発行し需要を喚起して恐慌を克服したというのは、労働者階級に対する反革命弾圧と帝国主義的な戦争政策を隠ぺいするためのキャンペーンである。ニューディール政策は、景気の浮揚には役立たずただ膨大な財政赤字をもたらした。投下された国家財政=税金は資本家階級を潤し軍需産茉を拡大させたが、失業と肌餓にあえぐ労働者階級には搾取・収奪の強化と、闘つ者に対する反革命弾圧と白色テロの嵐しかもたらさなかった。階級対立は先鋭化し、アメリカ支配者階級は、プロレタリア革命の恐怖におびえた。アメリカ南部を中心としてファシズムが台頭した(ルイジアナ州知事ロングやクー・クラックス・クラン、さらに真性のナチズムの登場までふくめて)。

 巨額の財政赤字を克服する道は、ルーズベルトには国内階級闘争を鎮圧し「城内平和」を条件に戦争に突撃する以外、残されていなかった。アメリカ帝国主義は、ロシア革命−世界革命に対抗する反革命戦争を基底的動機とした帝国主義同士の強盗戦争である第二次世界大戦に突入し、軍需生産を拡大し生産力をフル稼働させ大量の武器を連合国側に提供することによって、大恐慌を「克服」していったと言えるだろう。

 いまオバマが「グリーン・ニューディール」を叫んでいる。しかし、〇八年、世界恐慌対策で今後急角度で増大していく巨額の財政赤字ひとつとってみても、「グリーン・ニューディール」がこの財政赤字を克服することはできない。ルーズベルトのニューディール政策の失敗は、ドルが基軸通賀となっていく過程での失敗だったが、いまオバマが直面しているのはドルが基軸通貨としての位置を喪失しつつあるドル信認の崩壊過程であり、オバマの失敗の先に、力強いアメリカ資本主義の再生はもはやありえない。

 この世界恐慌は、日帝においては「昭和恐慌」と呼ばれる。
 第一次世界大戦の戦勝国となった日本は、大戦さなかから中国侵略とロシア反革命出兵(シベリア出兵)の反革命的帝国主義的侵略を進めていった。二〇年戦後恐慌の波を乗り切った日帝は激化する国内階級闘争(全国水平社、日本農民組合の結成から日本共産党結成、そして日本労働組合評議会結成へとつづく、ストライキと小作争議の波)の鎮圧と中国革命・朝鮮革命圧殺のための出兵を重ねた。

 二七年、震災手形の処理に端を発した恐慌が爆発した。これは「金融恐慌」と呼ばれる。震災手形は戦後恐慌過程で破綻にひんしていた「不良企業」の焦付債権を多くふくんでいた。震災手形再割引は、日銀による不良債権の肩代わり策であった。日銀は政府予算が十七億円の時代に三億を上まわる緊急貸出を実施したが、預金取付−銀行破綻は収まらず、ついに三週間のモラトリアム(支払い猶予令)を発し、中小銀行を倒産させることでこの「金融恐慌」を乗り切った。この過程をとおして、日帝は巨大金融資本の成立と財閥支配の強化を実現した。
 激化する階級闘争にたいし日帝は、治安維持法改悪と特高警察の設置、二八年三・一五−二九年四・一六弾圧を集中し、日共への弾圧と労働運動・農民運動・部落解放運動の解体とその融和主義的ファシズム的転換を進めた。またこの時期、日帝は中国侵略をおし進め、三一年九月には、柳条湖事件をひきおこし、中国東北部への全面的な侵略戦争を開始した。

 二九年七月に成立した浜口民政党内閣の蔵相井上準之助は、金解禁(金本位制復帰)と緊縮財政(デフレ政策)をおこなった。金本位制復帰は、事実上の円高政策であったため輸出が急減し、当時の主要輸出品であった生糸が暴落、農村部は壊滅的な打撃を受けた。また金が流出し通貨が縮小、金利は高騰して中小ブルジョアジーは大打撃を受けた。これが「昭和恐慌」とよばれる。金融資本は円騰貴につけこんで為替投機に走り、巨利を得た。民政党−ブルジョアジーの政党がおこなったこのデフレ政策は農民の憤激をかった。ファシストは資本家や政治家に対する襲撃(三二年二月井上準之助暗殺、三月団琢磨暗殺)をくり返した。五・一五事件=犬養暗殺は軍隊内ファシスト=皇道派のテロルであった。天皇主義ファシストは農民の窮状救済を自らの「大義」としてでっちあげ、資本家とくに金融資本家に対するテロルを重ねたが、本質的にはこのテロルは労働者・農民に対して向けられていた。

 三一年十二月に成立した犬養政友会内閣の蔵相高橋是清(五・一五事件ののち、斉藤「挙国一致内閣」の蔵相も務めた)は、低金利政策で大量の公債を発行し、それで調達した資金を戦争遂行と恐慌対策事業に振りむけ、恐慌で破壊された生産力の回復をめざした(三一年から三六年にかけて、工業生産額は二三〇%以上に増大した)。しかし三五、六年ころになると公債の市中消化力が低下し、増刷される日銀券はそのままインフレをおしあげることとなった。三六年の「二・二六事件」(高橋暗殺)以降も止めどなく増大する軍事費は、一切の生産力を軍事目的に集中する軍需インフレとなって現われ、三七年七・七「盧溝橋事件」以降の日中全面戦争から四一年第二次世界大戦に突入した日帝の敗戦−破綻を結果した。

 日帝は恐慌の「克服」を結局は軍需インフレ政策でおこなうほかなかった。現在、〇八年恐慌下で高橋財政の再評価がなされつつある。しかし高橋は国家財政を投入して需要を喚起し鉱工業生産力を回復させていったが、その結果積みあがる財政赤字を結局は戦争に突入することでしか解消できなかったのだ。

 日帝は、不屈の抗日闘争を闘う中国・朝鮮−アジアの労働者入民の武装闘争に決定的に勝利しえぬまま中国全土に戦線を拡大し、第二次世界大戦−対米英戦争に突入するほかなかった。
 「昭和恐慌」は、階級闘争の敗北の結果として帝国主義的侵略戦争の拡大と、それを国内的に可能とする階級闘争鎮圧のうえにたつ天皇制ファシズムの成立を結果した。

ファシズムと対決し世界革命へ

 一九二九年恐慌とそれ以降の過程で、ブルジョアジーは、首切り・合理化−大収奪と、徹底した反共・治安弾圧をもって延命を図った。しかし第一に、二九年十月の株価崩落直後のフーヴァーによる市場の論理に委ねた放置であれ、三三年以降のルーズベルトによるニューディールであれ、あらゆる経済政策は決定的な解決策にならなかった。議会制ブルジョア独裁の崩壊が進みイタリァ・ドイツ・日本をはじめとしてファシズムが形成された。そして諸国支配階級はそれぞれの延命の利害を賭け、それぞれの侵略戦争から第二次世界大戦に突入した。

 われわれが二九年恐慌と現在を対比するのは、ブルジョアどもが二九年恐慌の結果から「教訓」をひき出しているからである。つまり、当面の大資本防衛といっそうの寡占化をとおしながら、しかし戦争(大規模な反革命鎮圧)とファシズムを意識的に遂行・準備しながら延命を図ろうとしている。これが現在ますます鮮明になっている。

 二九年恐慌をうけ、日帝はなにをやったのか。ただちに、中国東北部・朝鮮半島での反日帝決起の血の鎮圧にふみこんだ(間島抗日武装闘争の鎮圧など)。二八〜二九年の治安維持法大弾圧をさらに日常化し、三三年には小林多喜二を虐殺し、また獄中の佐野学・鍋山貞親に転向声明を書かせ公表した。これらを背景に、三一年には関東軍の謀略による満州鉄道爆破(柳条湖事件)をテコに、中国東北部全面侵略−「満州国」でっちあげに走った。三二年にはファシストによる五・一五クーデターが発生した。こうして天皇制ファシズムの全面化から中国全面侵略−十五年戦争に突撃したのである。

 敵権力、とりわけ官僚的軍事的統治機構に内在するファシズム的政治勢力は、こうした歴史の継承を意識して現実に戦争を遂行し、ファシズム勢力を増殖させている。治安弾圧−革命党の破壊と拠点破壊をとおして、「有事」・改憲攻撃に突撃しようとしている。

 いまこそ、 <反革命戦争−ファシズムの危機を蜂起−内戦(革命戦争)に転化し、コミューン・ソビエト権力を樹立せよ>の戦略スローガンを現実に貫徹していくために闘うときである。
 飢餓・虐殺にさらされている全世界の労働者・入民と怒りをともにし、資本制生産様式と国家を打倒しつくす力を燃えたたせて決起しよう。南朝鮮・パレスチナ−全世界の労働者・人民の武装決起に連帯・呼応して闘おう。


SDR IMF加盟国が拠出額に準じて融資を引き出せる一般引出権(GDR)のほかに、一国の財政危機・通貨危機が他国に波及しないように設定した特別引出権のことで、外貨準備用の通貨としての機能を果たす。現在の基軸通貨ドルに加えユーロ、円、ポンドの四通貨により信用が担保される(相場が四通貨のの平均で設定される)ことで、価値の下落を回避している。



[2]戦後世界体制の崩壊と20008年恐慌...........................


米帝を基軸とした戦後体制ーIMF・GATT体制の成立

 第二次世界大戦は、アメリカ帝国主義、イギリス帝国主義を中軸とした「連合国」によるドイツ帝国主義・ナチズム、日本帝国主義・天皇制ファシズムなど「枢軸国」に対する撃破として終結したが、より本質的な問題は、この過程がロシア革命以降の全世界のプロレタリア革命運動の前進に対する帝国主義ブルジョアジー・全世界支配階級による反革命としての敵対・対抗として進行したことである。たとえば日帝のポツダム宣言受諾は、日帝の「連合国」に対する敗北表明であると同時に、米帝を中心とした「連合国」の帝国主義ブルジョアジーと、中国・朝鮮の労働者・人民決起に敗北した日帝ブルジョアジー・天皇勢力とのあいだでの日帝足下−朝鮮半島・中国でのプロレタリア革命−共産主義革命を阻止するための反革命協定の成立でもあったのである。

 第二次世界大戦の直下から、すさまじい鎮圧テロルと弾圧・排外主義統合攻撃と対決し、全世界で革命的武装闘争、パルチザン戦、「レジスタンス」などが不屈に闘われてきた。闘う労働者・人民はこの闘いをひきつぎ、第二次大戦終結をうけて中国・朝鮮半島−アジア、ヨーロッパ、全世界で革命運動が高揚し、帝国主義ブルジョアジーを先頭とした全世界支配階級と激烈に闘いぬいた。一九四九年の中国革命、朝鮮半島における革命運動の前進と五〇年の朝鮮反革命戦争(南北分断)、四八年のイスラエル国家の形成、ベトナム革命の前進とフランス帝国主義の反革命干渉(南北分断)、そして東ヨーロッパの「人民民主主義革命」とドイツにおける攻防(東西分断)をはじめ、全世界で戦後革命をめぐる攻防が激烈に進行した。

 この攻防をとおして、帝国主義=資本主義を全般的制約者とし、貿易に媒介され特殊な形で世界市場を構成するスターリン主義を特殊的部分的制約者とする戦後的国際関係(「戦後世界体制」)が成立した。帝国主義ブルジョアジーは、政治的には、ソ連(−スターリン主義諸国)との政治的軍事的対抗と戦後革命との対抗とをとおして、北大西洋条約機構(NATO)、日米安保をはじめとする反革命階級同盟を形成した。

 そして経済的には、米帝が「ブレトン・ウッズ体制」−「IMF(国際通貨基金) ・GATT(関税・貿易一般協定)体制」をドルを基軸通貨とする国際的経済関係として作りあげた。第二次世界大戦後、米帝は西側世界の工業生産のシェアを戦前の四二%から六二%にまで上昇させ、世界の公的金保有総額の約七〇%を独占した。これを条件として、ドルが戦後体制での唯一の基軸通貨となった。

 このように、戦後的な国際的経済関係は、帝国主義ブルジョアジー全世界支配階級の反革命協調と米帝経済の圧倒的優位という条件のもとで成立したのである。

 IMF協定第四条では「各加盟国の通貨の平価は、共通尺度である金により、または四四年七月一日現在の量目および純分を有する合衆国ドル[金ーオンス(28グラム強)=35ドル]により表示される」と定められていた。ドルはすでに不換紙幣となっていた(米帝は、一九三四年の金準備法でドルの金兌換を原則として廃止し、管理通貨制に移行していた。しかし、同法にもとつく財務長官権限で、外国政府および外国通貨当局に対して、金ーオンス=35ドルで金の売却に応じていた)。また、五四年三月にロンドン金市場が再開されてからは、イングランド銀行を通じて、金ーオンス=35ドルが成立するように金の売買をおこなっていた。これは金為替であるドルを各国が発行準備通貨として持ち、各国通貨は、ドルとの交換比率を設定することで成立するかたちの非常に限定された意味で金為替本位制であるということもできる。

 こうして米帝は、国内では金の裏付けのないドルを、国際取引では金と同等の価値を持つ貨幣として支払うことができた。

 米帝はソ連−スターリン主義諸国に「商品の弾丸」をうちこみながら政治的・軍事的に対抗を強化した。アジア、中束、南北アメリカ、アフリカで高揚する革命運動の鎖圧に走りつつ、第二次世界大戦で壊滅的打撃を受けた資本主義世界再建の主軸となり、「後進」資本主義国に対する抑圧・支配と収奪を強めた。そのために膨大なドル資金を経済援助・軍事援助・政府投資などのかたちで世界中に散布した。その結果国内では巨額の軍事予算と対外援助を可能とする財政赤字を積み重ね、経常収支赤字と財政赤字はドル危機を昂進させ、アメリカを経済的・財政的に破綻に追いこんでいった。こうして減価したドルを金と交換する動きが世界的に強まり、アメリカの金準備は急速に減少していった。

 ついに七一年、金・ドル免換は停止されIMF・GATT体制は崩壊した。本来なら金の裏づけを失った国際通貨は基軸通貨たりえないのだが、ドルに変わる基軸通貨がないなかで、ドルが基軸通貨でありつづけた。変動相場制に移行し、金の裏つけのないドルが不安定な基軸通貨として世界に流通した。

 米帝の政治的軍事的力を中心にした諸国支配階級の反革命協調によって支えられたドルを基軸通貨とする変動相場制下の世界市場は、帝国主義間争闘の激化やブロック化が進展すればいつでも崩壊する脆弱なものであった。その矛盾はただちに七四年恐慌(「オイルショック」)として噴出した。七〇年代の米帝は資本の絶対的過剰が利潤率の低下を招き、生産過程へ資本投下してもそれに見合うだけの利潤が得られなくなったのだ。

 七五年のベトナム革命−米帝反革命軍の敗退に示される全世界の階級闘争は、帝国主義ブルジョアジーの階級支配の危機を加速し、反革命協調を揺るがし、これらをとおして経済的危機を促進した。

 こうして八〇年以降の「長期不況」へといたった。この打開のために、八〇年代にはいると、英帝サッチャー、米帝レーガン、日帝中曽根が、米帝の圧倒的な軍事力を背景に全世界で反革命戦争を拡大しながら、「市場原理」をかかげ「白由化」「民営化」を唱えて、雇用・賃金体系、「社会保障」制度や税制などの反労働者的・反人民的改悪、貧富の差の拡大、農民切り捨て、そして「後進国」労働者入民への矛盾のいっそうの集中と押しつけへ突撃した。利潤率の低下を労働者の搾取・収奪の強化で突破しようとしたのである。財政政策は、有効需要政策から「サプライサイダー」の政策(資本の生産性を引き上げることを最優先する経済政策)に転換し、政府資金は主要に(大企業と富裕層の)減税のために支出された。レーガンは所得税の最高税率を七〇%から二八%にいっきょにひき下げた。

 米帝は、農産物を戦略的武器としつつ、同時に金融業でより高い利回りを実現しようとしていく。八○年代中期以降、米帝は国際的な「金融自由化」にふみこみ、資本の増殖が困難になった局面で、金融事業における国際的障壁を取り払い、米帝資本の巨大さにものをいわせて「後進国」のみならず帝国主義諸国からも、「貿易戦争」の強化、金利の自由化をはじめとする規制緩和の強要などの手段を使って金融的に資金を吸い取っていった。対米輸出で荒稼ぎを図る日帝に対して、八五年「プラザ合意」から九五年の超円高にいたる円高を強制し、「規制緩和」「自由化」を要求しつづけた。

 九一年ソ連邦が崩壊した。スターリン主義は、商品交換による世界市場への包摂と、それと相互規定的な国際分業への編入ならびにそれをとおした改編という、経済的基底の長期にわたる変化を背景に、帝国主義=資本主義総体の危機−飢餓・内戦の常態化に直撃され、矛盾を深めてきた。さらに、労働者階級・人民に対する蔑視にもとついて核兵器を基軸にした軍事体系を形成してきたことを根拠にして、米帝をはじめとした帝国主義による核軍拡競争−核戦争どう喝による解体圧力に追いつめられた。そして、スターリン主義的国有化とそれにもとつく特権の党・国家官僚による収奪という経済的政治的=社会的構成そのものの内在的限界を根拠とした人民の離反・反逆を根本的要因として、さらに乗り切りのための親スターリン主義政権の形成(アフガン、アンゴラなど)−内戦への介入も破産し、ソ連の崩壊に到ったのである。

 スターリン主義の破産−ソ連の崩壊は帝国主義の危機の反映でもあり.したがって帝国主識・資本主義はますます危機を深めながらあがきを強めた。八○年代以降開始されていたあからさまな搾取・収奪の方策(「小さな政府」と民営化・規制緩和の推進、「自由競争」という名のもとでの赤裸々な搾取・収奪の追求、貧富の差の拡大と福祉切り捨てなど。「新自由主義」とか「グローバリズム」とか呼ばれることになる一連の方策)を、ますます暴力的に推進した。

 そしてついに九一年対イラク−中東革命戦争(「湾岸戦争」)をもって米帝は、新たな戦争につぐ戦争の時代の幕を切って落とした。

 九一年三月から始まった戦後最長の十年にもわたる経済成長のなかで、米資本主義は金融業中心の経済に転換していく。世界にあふれる投機資金の奔流が、九七〜八年のアジア−世界通貨危機の引き金となった。この通貨危機は、累積した矛盾が世界恐慌として爆発するしかない過程への突入を意味した。この危機につき動かされた米帝は、IMFを尖兵として、危機に陥った諸国の資本の救済ではなく債権者である米資本の保護のために、米帝資本に対する債務返済以外の財政支出の抑制(主要に緊縮政策)を強要し、これを条件に融資をおこなった。

 ドル高政策を背景にして日本、ヨーロッパから資金がアメリカ市場に流入し「IT革命」を背景とした株式バブルが発生した。二〇〇〇年一月にニューヨーク証券取引所のダウ平均株価は史上最高値をつけた。株式バブルはこの日を境に下落し崩壊していく。〇一年<九・一一テロ>もあり株価は最安値記録を更新していった。

 米連邦準備制度理事会 (FRB、米国の日本銀行に相当する機関)は利下げにふみ切り、官民あげて住宅バブルの形成にふみこんだ。銀行は、返済が困難、さらには不可能と思える層にまで住宅ローンを貸しこんでいく。

 さらに、より多くの架空的利潤を獲得するために、デリバティブなど「金融工学」が生み出された。これらの市場の拡大によって、現実におこなわれる金融取引とは桁違いの取引がおこなわれるようになり、巨大な架空の金融(資金)需要が生みだされ、資金はこのシステムのなかを自己展開する世界が拡大していった。

 こうした詐欺商法をも駆使して、信用度最低のローン債権を組みこんだ証券が 「優良債権」として世界中に売り出されていった(サブプライムローン問題)。どこにどれだけの不良債権が潜んでいるのか誰にもわからないまま、アメリカの投資銀行は証券を売りまくりぼろもうけしていく。米金融資本がどれだけ急成長したのかは次の数値に端的である。米帝が株式・住宅バブルで経済成長してきた一九九〇年から二〇〇七年にかけて、名目国内総生産(GDP)は二・四倍になった。しかしこの同じ間に金融資産の伸びは商業銀行が三・四倍になったのに対して、投資銀行は一一・八倍に激増した。九九年から〇六年まで証券第一位ゴールドマン・サックス社の最高経営責任者だった前米財務長官ポールソンの退職金が五百億円というとんでもない話が、現実であるような状況だったのである。

 住宅需要が際限なく拡大し住宅価格が上昇する限りはこの錬金術のボロは出ないのだが、いったん住宅が売れなくなり住宅価格が反転すると、とたんに住宅ローンは焦げつきだす。〇六年ころからサブプライムローンの延滞率が激増してきた。〇七年夏から変調が顕在化し経営危機に陥った米五位の投資会社ベア・スターンズへの〇八年三月の緊急融資を先行的事態として、同年九月十五日の四位の投資会社リーマン・プラザーズの破綻を引き金に、上位五位までのすべての商業銀行、投資会社が合併・吸収され姿を消すか、国有化されるか、業態変更を余儀なくされるにいたった。

 サブプライムローンの破綻を引き金に爆発した世界恐慌は、戦後的蓄積条件の喪失を根拠とした、戦後六十年にわたる矛盾の累積の結果であり、また八〇年代以降のブルジョアジーの延命策−「白由化」「グローバリズム」の最終的破綻の表現である。

 〇八年世界恐慌は、金融恐慌からはじまり生産恐慌として全面化し、全世界を巻きこみいくつかの国を国家的破産状態に追いこみながら、いまなお拡大・深化して、世界恐慌の炎が全世界を焼きつくさんばかりの勢いで爆発しつつある。

日帝が直面する現在の恐慌

 日帝は米帝の占領下で戦後経済を出発させた。戦後復興期をへて朝鮮戦争の米軍兵站拠点となることによる朝鮮特需をバネに、一九五〇年代から六〇年代にかけてアメリカ市場への輸出を武器に高度成長を実現し、六八年には西ドイツ(当時)を抜いて米国につぐ世界第二位の「経済大国となった。

 七一年のIMF・GATT体制崩壊から七四年恐慌を経て八〇年以降の「長期不況」へといたった。

 中曽根らの「新保守主義」政策のもとで、「民営化」と金利規制の撤廃が進められ、国際的にも資本取引が全面化しはじめた。

 日帝は「特例国債」=赤字国債の発行を本格化させ、公共投資を中心に投下されていく。低成長時代にはいると発行された赤字国債はそのまま累積し財政赤字を拡大させていく。

 八五年プラザ合意を機に急速な円高(−ドル安誘導)は輸出産業、とりわけそのもとにある労働者に打撃をもたらしたが、日帝はアジアを中心として米欧への積極的な直接投資を進める。製造業の海外生産比率の上昇にともない、「産業の空洞化」が進行した。景気対策としての低金利政策は通貨の過剰供給状態を生み出し、過剰資金は株と土地にむかって株式バブル、不動産バブルが発生していく。こうして利潤率の低下とこれを背景とした資本輸出が進み、ブルジョアどもは過剰資本の貨幣的表現である過剰資金の運用を金融部面に求め、架空的金融資産膨張(=「バブル」)をとおして利潤を実現しようとした。

 九一年二月、バブルがはじけた日本は一転して不況に陥った。その後、輸出産業を中心として活況を呈する一時期を挟みながら、全体として長期にわたる不況が継続した。九七年には主要銀行(北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行など)と山一証券の破綻が発生し、金融恐慌状態に陥った。九七年のアジア通貨危機のあと、日本経済はマイナス成長とデフレに見舞われる。

 資本は、海外進出、多国籍展開を本格化させることで延命しようとし、一方で、国内の輸出競争力の維持のために足下の労働者の首切り、賃下げ、「非正規」化をおし進めた。生産現場では「中国価格」が公然とうそぶかれた。つまり、下請け価格が中国水準の価格でなければ、親会社は発注しないということであり、労賃もまたそれに連動しているということだ。同時に、アジアからの研修生・実習生という名の低賃金労働力の動員がおこなわれ、最低賃金以下でこき使ういわば「奴隷労働」を横行させている。

 国内では労働者に低賃金を強制して付加価値の高い部品・製晶を「主力工場」で集中的に生産して輸出し、他方労働集約型の完成品は中国やアジアで組み立てるという、国内外を貫く分業構造の再編がこの時期、決定的に促進された。

 〇三年の日本経団連会長の奥田ビジョンに始まる「東アジア共同体構想」「束アジア自由貿易圏構想」などは、こうした分業構造の再編と経済圏形成から、さらには日帝のアジアにおける反革命盟主の座を獲得しようとする野望にそった突撃宣言でもあった。

 日帝は「ゼロ金利と量的緩和」でデフレ克服の方策をとり、住宅バブルにわくアメリカ市場への輸出拡大とアジア市場への直接投資、規制緩和政策(「構造改革」)で経済活性化をはかった。その結果、〇五年に所得収支が貿易収支を上回るにいたる。貿易黒字は海外投資に回され、所得収支の受け取りが可能な大資本のみが貿易で稼ぎ、海外投資で肥え太るという構造が現われた。政府の「貿易投資立国」宣言はそうしたなかで出されている。米帝型の金融産業の育成と、労働者の「非正規」化を進める労働政策は、労働者・人民の窮乏化をもたらし(その表現として貧富の差が一気に拡大し)、一時的な経済活性化は一方に富める一握りの者と他方に膨大な食べるのが精一杯という低賃金労働者層を生み出した。

 ここを〇八年世界恐慌が直撃した。トヨタをはじめ、輸出を軸に巨大な収益を上げてきた自動車・電機などの大資本が軒なみ赤字決算に陥った。倒産が相次ぎ失業者が急増している。就業している労働者も多くが「非正規」化され食・住の危機に襲われ餓死・凍死が日常のものとなっている。階級支配の危機に直面した日帝ブルジョアジーは、赤字国債を乱発し、すでにGDPの一七〇%にもおよぶ巨額の財政赤字を積みあげている。労働者人民の反乱を治安弾圧で粉砕し、階級支紀の危機を外的に.反革命戦争に転化する帝国主義対外政策が強化されている。「非正規」化とファッショ的労務管理のもとで労働強化が強制され、労働者の生活そのものを破壊し年間三万人を超える自殺者を生み出すにいたっている。財政再建の名のもとに福祉切り捨てと増税がはかられている。

現在の恐慌の性格

 〇八年世界恐慌は、ドルを基軸として形成された戦後世界体制の矛盾が噴出したものであり、循環的景気変動ではないのはもちろんのこと、時間がたてぱいつか必ず生産活動が軌道に乗り〇八年恐慌以前の拡大両生産が開始されるというものでもない。

それは、第二次世界大戦以降の資本制生産の拡大再生産(蓄積)の条件が最終的に失われ、革命運動の爆発を阻止しながら資本制生産の破綻を回避するというあらゆる取り繕い策がついえ去ったことを意味している。すなわち、危機の深さ、全世界的波及の加速性とその規模において二九年大恐慌に匹敵し、これにつづくものである。

 一九九七〜八年のアジア−世界通貨危機−全世界的な恐慌過程への突入に対して、日帝は金融緩和、公的資金の金融機関への投入、そして銀行の統合・寡占化などでのりきりを図った。

 日帝経済は二〇〇〇年にはいってから「成長」の外観をとったが、それは膨大な対来輸出(アジア経由をかくむ)に依存したものだった。膨大な輸入によって資本主義世界経済を支えてきた米帝に代わってただちに輸入をひきうける力は、ヨーロッパ連合(EU)にも、日帝にも、もちろん中国・ロシアにもない。さらに日帝は、年間三十兆円〜八十兆円(GDPの実に五〜一〇%にのぼる)の膨大な国債発行によってGDPにゲタを履かせていたのであり、このツケは労働者・人民からの搾取と収奪によって支払われるほかはない。

 そして決定的には、この十年間は小泉「改革」が進められ、労働者の首切り・「非正規」化と低賃金化、労働者・人民に対する搾取・収奪と窮乏化の強制の時期だったことである。

 一八七〇年代の大不況が二十年もつづき、帝国主義的争闘のなかから第一次世界大戦へ突人しロシア革命を画期とする世界革命の時代が切りひらかれた歴史的時期、さらには二九年恐慌から十年以上もたち直ることができないまま第二次世界大戦に突人し、その惨禍と戦後革命の波のなかから戦後体制が形成されていったような、そういう歴史的位置をもったものとして、現在の○八年世界恐慌の爆発がある。

 この恐慌は不可避に長期化するだろう。

 景気回復を牽引する基軸的産業は見あたらず、「環境バブル」がつぎの展望かのように喧伝されているが、オバマの言う「グリーン・ニューディール」がそもそもまがい物である。ドルの崩落が射程にはいっており、米帝・ドルの国際貿易における基軸性の崩壊が開始されている。それに代わる基軸国・基軸通貨は登場していない。世界貿易の急激な縮小危機の全世界的爆発を必至とする、先が見えない混沌状態が帝国主義・諸国支配階級をおおっている。各国ブルジョアジーは、この恐慌が階級矛盾を激成し革命的決起がまきおこることに恐怖している。

 ブルジョアジーの延命のあがきは、第一に、資本の延命のための首切り−労働者に対する失業・飢餓の強制、徹底した労働強化・労務管理のファッショ的強化とあらゆる形での賃下げ、そして労働者・人民からの徹底した収奪である。失業と飢餓こそが、世界恐慌が労働者・人民にもたらす直接の結果である。

 第二に、階級支配の危機を外的転化するための戦争突入、そしてブルジョアジーの政治支配の危機の最後の救済者としてのファシズムの台頭である。日帝足下での天皇(制)攻撃の激化と「在特会」をはじめとしたファシストどもの公然たる政治行助・街頭行動へのふみこみ、反革命襲撃、排外主義・差別主義襲撃への突入は、まさにこの恐慌とそのもとでの反革命どもの危機感に裏打ちされたものである。

 第三に、どうしても解決できない財政危機の拡大である。昨年の世界恐慌突入以来、ブルジョアジーは全世界で野放図な財政投入で大資本を支え、これによって経済の全面崩壊を回避しようとしている。しかし米帝・日帝をはじめとして、財政赤字はもはや解消しえないまでに拡大している。財政の破綻にいたるのか、あるいは通貨下落によって国際貿易が途絶するにいたるのか、いずれにせよブルジョアジーにとって財政危機をのりきる方策はない。

 そして第四に、「他のことなどかまっておれない」各国ブルジョアジーが進める保護主義政策による、世界貿易の縮小である。 「リーマン・ショック」以来、帝国主義ブルジョアジー・全世界支配階級は「G20」などに寄り集まっては「世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)の早期妥結」「保護主義政策に反対」と言いつづけている。しかしドーハ・ラウンドは進捗せず、各国財政政策は同時に国内資本擁護の保護主義政策そのものであり、そして二国間の自由貿易協定(FTA)などが力まかせに進められている。

 こうして、閉鎖的な二国間貿易協定−複数国の貿易協定を結び、高い関税を設けたり自国通貨を切り下げたりして輸入を制限し自国資本の防衛を図り、結果として国際貿易を縮小させて生産の縮小を加速させる−こうしたブロック化へとつき進みながら、プロレタリア革命を防止しつつ労働者・人民に矛盾を集中するという基調がますます強まっている。国際反革命階級同盟を強化し、反乱を開始した労働者人民の闘いを圧殺するための反革命戦争とファシズムに突撃している。

 日帝ブルジョアジーは、自らの墓穴を深々と掘りつづけながら、階級支配の危機を労働者階級の徹底した搾取・収奪と、生み出される階級的反撃に対する治安弾圧の強化をもって粉砕するしかない。排外主義・差別主義にもとづく反革命的帝国主義的国民統合をもって、反革命戦争とファシズムに突撃している。

 まさにいまこそ、資本制生産の延命を断ち切る闘いのときである。



[3]現在の恐慌の性格と革命党の任務............................


恐慌とは何か われわれの革命的任務を確立するために

 恐慌とは、資本制生産の全般的・加速的で不可逆な縮小のことである。すなわち、生産過程における全般的な価値破壊・急速な縮小が進む。同時に、多くの場合生産恐慌は金融恐慌をともない、とりわけ貿易・信用が全世界的に展開されている今日においては、金融恐慌は生産恐慌と緊密に結びつき、生産恐慌をいっそう激甚なものにするテコになる。

 資本制生産は、生産過程において資本家が労働者から搾取し、これをもって資本が増殖することを白己目的とする生産様式である。「金融システム」とよばれる全世界的な信用制度は、この生産過程を極限にまでおし進めるテコとなり、また多くの場合矛盾もこの信用制度において表面化する。 「だから、一見したところでは、全恐慌がただ信用恐慌および貨幣恐慌としてのみ現われる」(『資本論』)のである。恐慌は、単に資本制生産において不可避にたどる循環なのではない。本質的に資本制生産それ自身の根本的矛盾の一挙的・暴力的噴出である。

 その矛盾はどこにあるのか。

 資本の蓄積(資本家による、労働者から搾取した剰余価値の資本としての充用[=再生産])ならびにそれと同時に進む生産力の発展にともなって、固定資本が巨大化し質的に飛躍し、これと対応して資本の有機的構成が高度化する。これが資本間の競争をとおして一般的になるにつれて利潤率が低下する。そして、価値増殖のための生産の拡大と有機的構成の高度化がおし進められ、ついにはその資本蓄積が利潤増大を不能にする極限にいたる。

 マルクスは『資本論』で、このことを「資本の絶対的過剰」と規定している。すなわち、「資本として機能できる、すなわち与えられた搾取度での労働の搾取に充用できる生産手段の過剰」 (同)であるととらえ、新たに資本を投下してももはや利潤を得ることができない状態にいたることを分析し、「搾取度が一定の点より下に下がるということは、資本主義的生産過程の撹乱や停滞、恐慌や資本の破壊をひき起こす」<同)と、資本制生産の矛盾の現われを明らかにしている。

しかも実践的に重要なのは、マルクスがこう記述した第三部第十五章第三節に「人口の過剰に伴う資本の過剰」という表題をつけていることに示されているように、資本の絶対的過剰は「相対的過剰人口を呼び起こすのと同じ事情から生ずる」のであり、したがって資本の絶対的過剰は「一方には遊休資本が立ち、他方には遊休労働者人口が立つ」 (同)という事態であると明らかにしていることである。すなわち、資本家が有り余る資金を持っていても、利潤を生みだす投資ができなければ、失業者を増大させながら生産の縮小につき進む局面がくる、ということである。 .

 資本制生産の根本的矛盾であるこの「資本の絶対的過剰」が、恐慌として噴出するのである。マルクスが「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである」 (同)と書いていることの核心を、われわれはこの「資本の絶対的過剰」としてとらえなければならない。

 こうして、事態の根底にあるのは、全世界的な資本制生産の拡大再生産の行きづまりである。ここが本質である。資本制生産様式の矛盾は、現存資本価値の増殖を唯一の目的としそのために生産力の最大限の発展を推進しながら、一方で、この生産力の発展そのものが、利潤率の低下したがって現存資本価値の減価(既に生産された生産諸力の価値低下)をはらみながらしかありえず、同時に、労働者大衆からの搾取・収奪の極限化−窮乏化をもってしかなしえないという点にある。

 現在の恐慌は、第一に、直接にはサブプライム・ローン破綻を引き金にしたものであり、一九七四年恐慌以降の「市場経済万能」と「治安強化」を軸にした「新保守主義(新自由主義)」「グローバリズム」の破産の帰結であり、とりわけ九七〜八年アジア通貨危機以降の帝国主義ブルジョアジーの延命・乗り切り方策の破産の帰結である。

 第二に、第二次世界犬戦以降の資本制生産の蓄積条件の最終的枯渇の帰結である。すなわち、第二次世界大戦以降の資本制生産の拡大再生産(蓄積)の条件が最終的に失われ、革命運動の爆発を阻止しながら資本制生産の破綻を回避するというあらゆる取り繕い策がついえ去ったことを意味している。第二次世界大戦は、一九二九年恐慌のもたらした経済危機と全世界ブルジョアジー・支配階級の政治支配の危機が爆発したものである。すなわち現在の恐慌は、危機の深さ、全世界的波及の加速性とその規模において二九年大恐慌に匹敵するのみならず、二九年恐慌に続く世界恐慌である。

 そして第三に、その根底において、ここに述べたように資本制生産そのものの根本的矛盾の爆発である。すなわち現在の恐慌は、第二次大戦後の資本主義世界経済の成立そのものの最後的崩壊を刻印し、九〇年代以降の延命のあがきも尽き果てて、資本制生産そのものの「最期を告げ知らせる鐘」となろうとしているのである。

 ここでプロレタリア・共産主義革命にむけて、怒り・闘い・団結における徹底したプロレタリア性、国家権力を打倒する暴力性、そして敵からする排外主義・差別主義攻撃に対するプロレタリア国際主義と全人民的結合力を形成することができれば、ブルジョアジーの抹殺攻撃・治安弾圧・強搾取をはじき返し、虐殺され餓死を強制される巨万の労働者・人民の決起をとおして、帝国主義ブルジョアジー全世界支配階級の延命を断ち切ることができるのである。

われわれの革命的任務

 われわれは、<プロレタリア・共産主義革命−永続革命・世界革命>の実現を綱領的立場とし、<反革命戦争−ファシズムの危機を蜂起−内戦(革命戦争)に転化しコミューン・ソピ工卜権力を樹立せよ>の革命戦略をかかげて闘いぬく。
 このスローガンは、われわれが闘いのなかで生みだし、鍛えあげてきたものである。

 革労協は一九六九年結成をもってただちに六九〜七〇安保決戦に突入し、時代を戦後第二の革命期ととらえ「アジア太平洋圏安保粉砕、帝国主義ブルジョア政府打倒」という政府スローガンをかかげ闘いぬいた。七三年九・一四−一五神大夜襲攻防を飛躍点とした革マル解体・絶滅戦を七〇年代における党建設の集中環として推進しつつ、七五年ベトナム革命の勝利を転換点として本格的権力闘争路線の確立にむけた論議と実践に着手し、七五年天皇訪米阻止、七六年ヒロヒト在位五十年式典粉砕の「二つの天皇闘争」をとおしてパルチザン的・ゲリラ的戦闘を戦取してきた。反革命革マルによる七五年同志石井虐殺−七七年同志中原虐殺に徹底報復する闘いへの集中をとおして、八〇年代の権力闘争・党派闘争を闘いぬく革命的路線をうちたてた。九〇年天皇決戦にいたる過程で開始した本格的権力闘争を革命路線としてうち鍛え、非合法革命党建設−共産主義的労働者党建設の組織路線を深化してきた。

 九〇年天皇決戦に対する反動としての破防法型反革命弾圧−路線転換攻撃との闘いは、すべての勢力が真のプロレタリア革命派たりうるか否かを峻別した。八三年三・八三里塚脱落派の発生をもって登場した新左翼右派ブロックはもとより、以降戦闘的に闘いぬいてきた勢力のなかからも、対権力実力闘争・武装闘争と対革マル戦・対ファシスト戦を堅持・発展させる激闘から脱落・逃亡する勢力が発生した。

 九九年の親ファシスト−ミニ・スターリン主義的私的サークル集団=木元グループの脱落・敵対は、本格的権力闘争路線の清算と差別主義敵対、革命党・革命軍建設の清算・破壊の策動であり、解放派の四十年にわたる戦略的・思想的格闘への敵対であり、脱落・逃亡であった。

 しかしその対極に、 <三里塚・組対法決戦>をはじめとした時代の荒々しい息吹が台頭している。そしていま、二〇〇八年世界恐慌への突入という歴史的局面こそ、われわれが「この日のために」闘いの路線と組織を鍛えあげてきた革命的躍動の時期である。

 〇八年世界恐慌直下のわれわれの革命的任務は何か。

 われわれは革命期を、ブルジョア的発展の条件であった政治的諸制度を基軸とした社会的経済的=生活諸関係そのものが、労働者・人民大衆にとって直接的にも極構となり、また支配階級自身がその全面的改編にふみこまざるをえない時期−最終的な決戦局面である革命情勢にいたる歴史局面としてとらえてきた。

 そして、「戦争が起きたら決戦にたつ」という待機主義や、ドイツ・ナチス、日帝・天皇制、イタリア・ファシストをはじめとした一九三〇年代のファシズムへの敗北を敗北として総括しない敗北路線を突破するものとして、「危機の革命(蜂起−内戦)への転化」を決戦戦略として確立してきた。われわれはこの危機を、経済的危機(恐慌を軸とする)を基礎にして、それと相互規定的・相乗的に昂進する政治的危機(階級支配の危機)としてとらえてきた。

 まさにいま、全世界ブルジョアジー支配階級は現在の世界恐慌を経済的に解決することは決してできず、階級支配の危機は(反革命)戦争やファシズム(クーデター)との攻防を主軸にした激烈な階級攻防の過程として全面化しようとしている。

 われわれは、レーニンの提示した革命情勢の三つの指標(一九一五年『第二インターナショナルの崩壊』)をプロレタリア的に再把握することをとおして権力闘争の飛躍にむけた実践的な任務を確立しようとしてきたが、いまこのことが決定的に問われている。

 レーニンは革命的情勢を次のように説明している。

 「一般的にいって、革命的情勢の兆候はどういうものか? 次の三つの主な兆候をあげれば、おそらく間違いはなかろう。 (1)支配階級にとって、普通のかたちでは、その支配を維持することが不可能になること。 『上層』のあれこれの危機、支配階級の政治の危機が、亀裂を作り出し、それによって、被支配階級の不満と憤激が爆発すること。革命が到来するには、通常、『下層』がこれまで通りに生活することを『欲しない』というだけでは足りない。さらに、『上層』がこれまで通りに生活することが『できなくなる』ことが、必要である。 (2)被抑圧階級の貧困と窮乏が普通以上に激化すること。(3)右の諸理由から、大衆の活動力が著しく高まること。大衆は、『平和な』時期には、おとなしく搾取されるままになっているが、嵐の時代には、危機の環境全体と『上層』そのものとによって、白主的な歴史的行動に引き入れられる。

 個々のグループや党の意志だけでなく、個々の階級の意志にも依存しない、これらの客観的な変化なしには、革命は−−概して−−不可能である。……およそ革命的情勢があれば必ず革命が起こるというわけのものではなく、ただ、次のような情勢からだけ、すなわち、右に列挙した客観的情勢の変化に主体的変化が結びつく場合、つまり、旧来の政府を粉砕する(またはゆるがす)にたる強力な革命的大衆行動を起こす革命的階級の能力が結びつくような場合だけ、起こるものだからである。この旧来の政府は、これを『失墜』させない限り、たとえ危機の時期であろうとも決して『倒れる』ものではない。

 これが、革命に対するマルクス主義の見解であり、それはすべてのマルクス主義者によって何度も何度も展開され、議論の余地のないものとして認められたものである」。

 〇八年世界恐慌がもたらしている革命的事態、@全世界のブルジョアジーがこれまでどおりのやりかたが通用しなくなりその打開・突破の道を求めて激しく揺さぶられ凶暴化していることA全世界で労働者人民の生活が困窮を極め飢餓線上の暮らしを強いられる膨大な人々が生み出されていることB労働者人民の闘いが激しく闘われ、実力闘争・武装闘争の波が世界中を洗っていること−ここに見られるその激しさと広がりのただなかでわれわれは勝利と解放の道筋を切りひらいていかなければならない。

 問題は革命期である今日、われわれが革命党として何を自らの革命的任務とするのかということである。

 レーニンの提起の限界は、それが二段階戦略のもとでの提起であるということだろう。一九一五年は第一次世界大戦さなかであり、第二インターが祖国防衛主義に転落し、レーニン・ローザらのプロレタリア革命派が「帝国主義戦争の内乱への転化」をよびかけて激しく党内闘争・党派闘争を闘っていた時期である。「転化スローガン」の提起という点ではきわめて鋭敏にプロレタリア革命闘争を牽引していたレーニンも、革命戦賂としてはいまだ二段階戦略にとらわれており、「労働者・農民の革命的民主主義的独裁」の樹立を革命戦略としていた。この革命的情勢の把握もこの路線に秩序づけられて提起されており、この一文にひきつづく「三つの義務」 (「革命情勢が現存することを大衆に明らかにし、この情勢の広さと深さを説明し、プロレタリアートの革命的自覚と革命的決意をよびさまし、プロレタリアートを助けて革命的行動にうつらせ、この方向にむかって活動するために革命的情勢に応ずる組織をつくりだすという義務」)の箇所を強調していた新左翼諸勢力が、九〇年天皇決戦に対する反革命弾圧−路線転換攻撃にもろくも屈服し、 レーニンの革命的営為を投げ強したのはゆえなしとしない。

 世界恐慌が爆発し、その震源地である米帝をはじめとした全世界ブルジョアジー−支配階級が反革命戦争にふみこみ、全世界でファシストが権力獲得と階級闘争撲滅にむけて台頭しているいまこそ、すべてを革命にむけて、あらゆる領域から権力闘争をおし進めていくときである。戦略の鋭さと階級的基盤の深さ、そして闘う労働者・入民と怒りと闘いをともにする力が決定的に間われている。

 まさにそういうものとして、われわれが「転化スローガン」を高くかかげ、プロレタリア・共産主義革命をめざしてそのための革命的行動にうって出るべき革命的一時機が到来している。革命的行動を広く労働者人民によびかける闘いの時期、まさに闘いのみが労働者人民の運命−階級闘争の帰趨を決するような一時期である。このことを一点の曇りもなくすべての闘う大衆によびかけ、怒りと闘いをともにしようではないか。

 恐慌が勃発し、戦時下の革命闘争としての飛躍が求められている現情勢における革命党の戦略的任務は、端的に言えば<反革命戦争とファシズムの危機を、蜂起−内戦(革命戦争)に転化し、コミューン・ソビエト権力を樹立せよ>という革命戦略の現実的全面的貫徹である。

 第一に、勃発した世界恐慌の広さと深さを労働者人民に明らかにし、われわれが直面している<反革命戦争とファシズム>の危機を革命的危機として鮮明にし、だからこそ<三里塚・組対法決戦>の勝利のために全力で闘い、新たな決起を開始している労働者・人民とともに闘う。

 爆発した世界恐慌が帝国主義の反革命戦争突撃をますます加速させ、国際反革命戦争の危機を拡大している。反革命戦争粉砕を革命党の現情勢下の第一の革命的任務としてかかげ、国際主義的武装連帯の闘いを先頭に帝国主義軍隊解体・其地解体の闘いを基軸的任務としてつきだす。

 恐慌下、深まる危機はファシズムの台頭を不可避によびおこす。ファシズムを粉砕する闘いをファシストせん滅の先制的攻勢的闘いをもって切りひらく。その闘いを日帝国家権力解体・天皇制打倒の闘いと、「有事」・改憲攻撃粉砕−被抑圧人民・被差別大衆の自主的解放闘争との連帯・共同闘争−排外主義・差別主義粉砕の闘いとして拡大する。

 首切り、賃下げと総「非正規」化、大合理化−資本による支配・搾取が段階を画して強化されている。これに反対する闘いを工場・「寄せ場」を拠点に闘い、地区的団結としてうち固める。消費税率アップを中心とした大増税、福祉切り捨てなどの収奪の強化−飢餓の強制と抹殺攻撃に対して全労働者・人民とともに対決する。

 労働者入民の闘いを破壊する国家権力−官僚的軍事的統治機構が、反プロレタリア的に一挙的に強化されている。国家権力打倒・解体の闘いを、反弾圧の闘い−<組対法・破防法攻撃粉砕、監獄解体・獄中者解放>の闘いを当面する闘いの中心環として、獄中同志の不屈の獄中闘争を先頭に、闘う弁護士の独自的組織化と反弾圧大衆運動の組織化とともに進める。

 第二に、恐慌下激烈に進行する反革命戦争とファシズムの危機を蜂起−内戦(革命戦争)に転化するための革命的行動を徹底して強化し拡大しなければならない。ストライキ・大衆的街頭実力闘争・ゲリラ戦(パルチザン戦)を闘いぬき、戦闘的労働者人民の闘いへの決起をよびかけ、われわれ白身がその先頭で革命的戦闘行動にたちあがらねばならない。

 本格的権力闘争の飛躍を闘いとる。反革命戦争粉砕−帝軍解体を第一の課題として闘う。三里塚人民抑圧空港粉砕−市東氏農地強奪阻止、「第三誘導路」粉砕の決戦に勝利する。

 ファシストせん滅戦に攻勢的に着手し、開始された拠点・街頭をめぐる制圧戦に勝利する。

 そしてこの権力闘争の一環として、また党建設と戦闘的共同戦線の強化・確立のための前提的任務として、木元グループ解体・根絶戦の戦略的戦果を闘いとる。五同志虐殺報復の革命的テロルで、山田・土肥、白色テロリストを総せん滅する。二・一一同志中原虐殺報復、革マル解体・絶滅の革命的テロルを闘いとる。

 第三に、かけられた組対法−破防法攻撃を粉砕し、本格的権力闘争の飛躍を切りひらく非合法革命党建設−共産主義的労働者党建設の前進をかちとる。この闘いをとおして闘う共同戦線を強化しプロレタリア統一戦線を深化・拡大し、全運動のソビエト的転換をおし進める。

 労働者・人民、学生に対してかけられた攻撃に対し闘う行動委員会運動を縦横に組織して、労働組合・学生自治会の階級化・革命化を促進し、工場・大学・地区に闘う拠点を作り出す。プロレタリア統一戦線、戦闘的共同戦線建設のなかから、コミューン・ソビエ卜権力樹立のために闘う革命党を建設する。

 党建設(−青年同盟建設)を、統一戦線諸組織=全国反戦・全学連・反安保労研建設と戦闘的共同戦線建設のなかからおし進める。政治討論を重視し、学習活動を不断に織りこんだ各級組織の政治的意思一致の日常的積み重ねのなかから、強固な組織建設、組織拡大をおしすすめる。

 工場・学園・地区にプロレタリア革命の拠点を建設する。労働運動、農民運動、部落解放運動、「障害者」「病者」解放運動、学生運動、そして沖縄人民解放、日朝連帯、女性解放の闘い、闘う労働者、被抑圧人民・被差別大衆との共同した闘いをおし進め、その闘う拠点を建設する。戦闘的大衆組織とともに闘い、その運動的組織的強化を闘いとる。

 公然−非公然の統一した闘いを戦略的におし進め、非合法地下の防衛(革命党指導部防衛)とその維持・強化、発展を闘いとる。革命的危機の時代において、その戦略的意義は巨大であり、非公然・非合法の防衛された地下陣地をもった運動と組織こそが、弾圧をはね返し路線転換攻撃を粉砕しうる。

 獄内外貫いた組織建設をおしすすめる。「獄中を戦場に」の闘いのなかから、獄中に革命党−プロレタリア統一戦線の革命的組織を作り出す。

 以上のために闘いの路線を深化しつつ、大衆的情宣行動機関紙活動を中心とした宣伝・扇動活動を徹底して強化する。

 労働者の組織化を、被抑圧人民・被差別大衆の組織化を、学生の組織化を、圧倒的な青年の組織化を。いまこそ縦横に闘い、縦横に組織化を。

 われわれを除くすべての勢力がレーニン・ローザの「戦争を内乱に転化せよ」という革命的スローガンの精神をうち捨てた日本階級闘争において、<反革命戦争とファシズムの危機を蜂起−内戦(革命戦争)に転化し、コミューン・ソビエト権力を樹立せよ>の革命戦略は、<恐慌と戦争(ファシズム)>の危機をプロレタリア・共産主義革命に転化する唯一の革命的スローガンである。恐慌下、激化する戦争とファシズムの危機に対する情勢認識をとぎすまし、闘いと団結のより強固な革命的形成を闘いとらねばならない。

 反革命戦争−ファシズムの危機を蜂起−内戦(革命戦争)に転化し、コミューン・ソビエト権力を樹立し、共産主義社会の建設につき進もう。

 プロレタリア国際主義のもと、戦争とファシズムに対決し、国際反革命階級同盟と、民族主義・国民主義−祖国防衛主義・帝国主義的反革命的統合を粉砕し、自国帝国主義・全世界ブルジョアジー・支配階級を打倒し世界革命へ。

 革命的インターナショナル建設をかちとり、全世界の労働者・人民と連帯し、帝国主義国家権力解体・打倒、ファシズム権力阻止・粉砕−プロレタリア権力樹立にむけ、スターリン主義・社会民主主義(人民戦線・民族民主戦線)を突破し、共産主義的労働者党−プロレタリア統一戦線・共同戦線(軍)を構築せよ。

 ともに闘おう。



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