万国の労働者団結せよ!
発行者 現代社

東京都杉並区下高井戸1-34-9

革命的労働者協会
(社会党・社青同 解放派)

【解放 987号 (2011/8/15) 《論文》 】【 以下、無断転載・無断作成 】



松崎明の絶望死とJR総連革マルの危機



第1回 JR総連革マルの破産と松崎の死 (「解放」987号)
第2回 松崎(革マル)の動労−JR総連の反革命支配とその破産 (「解放」988号)
第3回 革マル労働運動批判と解体戦方針 (「解放」989号)



第三回 革マル労働運動論批判と解体戦方針


松崎-革マルの反革命労働運動

国鉄分割民営化の先兵=革マル

 前号の連載第二回で歴史的経過をおいながら確認してきたように、日帝国家権力と国鉄当局は、革マルの国鉄分割民営化の先兵化と国鉄労働運動破壊なしには国鉄分割民営化を強行することはできなかった。

 この七月の国労大会で国労中央本部は、闘う闘争団員をはじめとした組合員の会場内外の反対の声をおしつぶして、闘争団員から組合員資格を剥奪し、国鉄闘争の敗北と終結を宣言して、JR連合への合流ー戦争とファシズムの先兵=帝国主義労働運動の陣営に合流するとした。

 日本階級闘争の一九六九〜七〇安保決戦と七一年沖縄・三里塚決戦の高揚、労働運動では七五年スト権ストにおしあげていく日本労働者階級の嵐のようなストライキ時代の幕開け、世界的にも七五年のベトナム革命戦争の勝利と八〇年光州蜂起−南朝鮮階級闘争の革命的高揚が続いた。

 この情勢のなかで、反革命的危機感に燃えて八一年登場した天皇主義ファシスト中曽根は、日本列島=「不沈空母」発言、国労解体を意図した国鉄分割民営化の臨調攻撃に見られるように、日米反革命階級同盟を朝鮮反革命戦争突撃に備えた臨戦態勢へ転換・飛躍させ、同時に国内において日本階級闘争の基軸部隊をなしてきた労働者階級の戦闘的勢力を解体し「城内平和」を作りだすことを、最大の眼目としていた。

 国鉄労働運動に対して開始された「ヤミ・カラ」キャンペーン(八二年ころから開始された国鉄労働者に対する「ヤミ専従」「カラ残業」キャンペーン)と臨調攻撃は、日帝ブルジョアジーのこの階級意思にもとついてかけられたものであり、国鉄分割民営化攻撃は労働者階級や闘う人民の総力をもって闘うことでしか粉砕できない、まさに「国策」との闘いであった。

 この攻撃に「国鉄分割民営化は国家意思からする攻撃だから、闘っても勝てない」として早々と白旗をかかげ、闘う国鉄労働者を裏切り敵の陣営の側に立って背後から襲撃してきたのが、革マルであった。これは革マルが八○年代の前半において、黒田と松崎の意思一致のもと、党派として組織決定しおし進めた裏切り方針であった。

 革マルは、六九〜七〇安保決戦を実力闘争・武装闘争をもって闘った戦闘的革命的勢力を、「武装蜂起主義義」「革命主義」と規定し、権力の反革命弾圧の集中に乗っかって背後から襲撃した。

 この反革命襲撃との闘いが七三年以降、死闘戦として激烈に闘われていく。解放派は七五年同志石井虐殺、七七年同志中原虐殺に対して、革命的テロルによる報復戦を宣言し、反革命革マルを解体・絶滅の危機に追いこんでいった。

 この危機のなかで革マルは、国鉄分割民営化を党派として積極的に推進し、分割民営化反対をかかげ闘う勢力を背後から襲撃して反対闘争を解体し、その廃墟のうえに革マルが多数派となって反革命支配を貫徹できる組合を作りだそうとした。

 ここに反革命革マルが、労働者階級の敵、全人民の敵として、非妥協・非和解の打倒対象として、明確に労働者人民のまえに登場してきた。

「積極攻撃型組織防衛論」の反革命性

 松崎は五七年国労新潟闘争敗北の総括から「積極攻撃型組織防衛論」を作りあげたと言っている。新潟闘争の敗北のなかから、のちに鉄労として組織化されていく部分が国労内部に形成されていく。松崎は、新潟闘争の総括は、この闘いを内部から破壊した「内部の敵」との闘いを闘わなかったことだ、日共のように「統一と団結」論で第二組合も闘う仲間だといって彼らと闘わなかったことが敗北に導いた、とした。この「内部の敵」との闘いを第一の闘争課題とする闘争方針を、「積極攻撃型組織防衛弘哩として方針化していった。

 松崎は七〇年代初頭のマル生粉砕闘争時には、「マル生分子粉砕」の闘いに当面する闘いのすべてを集中し、組合からの除名をふくめてマル生分子を攻撃的に解体する方針をとった。

 国鉄分割民営化との闘いでは、「積極攻撃型組織防衛論」を唱える松崎は、分割民営化阻止を闘う国鉄労働者を「内部の敵」として攻撃した。

 国鉄分割民営化は国家意思であり闘っても負ける、だから闘わず分割民営化を支持し「職場と組合組織をまもり」、その先兵となることで分割民営化で排除される国労の職場を動労が奪って、国鉄内第一労組の位置を動労(を中心として作られる労働組合)が占める−これを革マルの反革命的な戦略方針とした。この闘いを妨げる「内部の敵」との闘いを第一の闘争方針とする方針をとった。

 「積極攻撃型組織防衛論」の反革命性の第一は、松崎−革マルは、動労組織の防衛・拡大のためであれば何をやっても許される、「敵の敵は味方」だとして、元警視総監秦野に取り入り、ファシスト勝共連合に頭を下げ鉄労に謝罪した。

 それどころか、組織拡大のためならあらゆる術策(マヌーバー)が許されるとして、権力・資本の力を利用して、国労や動労千葉の組合員の処分・解雇を要求した(解雇要求のスト」権((!)確立)。

 松崎−JR総連革マルの革マル隠しのために、二〇〇〇年には革マルのJR総連革マルへの押しかけ行動を組織し、権力・資本・組合員大衆の目の前で両者は公然と罵りあい、殴りあいを演じた。同年、九州労の集団的な加入戦術の行使にあたっては、黒田・松崎から南雲らのJR労研指導部、さらには九州労指導部にいたるまで、革マルとして組織的に意思一致して、九州労組への集団的加入−のっとり戦術を行使した。

 その意思一致のもとJR総連革マル指導部−小西・神保・浅野が九州労事務所に殴りこみをかけたり、革マル中央が「我が同盟の戦闘宣言」で”JR総連本部並びに九州労残存北執行部を階級敵とし断罪する”という声明を発することまでしている。

 これは言葉の真の意味での「役割分担」であり、「出来レース」である。

 第二に、「積極攻撃型組織防衛論」の行使は、きわめて攻撃的=暴力的であり、反革命的テロルの行使を基本としている。

 国労・動労千葉組合員への攻撃は、大部隊でおしかけて集団的にテロルを加えて恐怖を与え離脱を強要する形態を常としていた。そのやり口は内部に向かっても行使され、松崎の意見に反対している、ないしは同意していない、積極的に行動しないと見なされた革マル成員、あるいは組合員に対してすら、拉致・監禁と強制的自己批判要求が組織された。監禁は数年単位におよび、革マル政治組織局員小野田啓介は二十数年にわたって監禁され自己批判を要求されたと言われている。これは、スターリン主義者の内部統制、粛清の手段そのものである。

 第三に、そのすべては「組織づくり」に有効か否かで判断される。組織防衛・拡大に有効であると判断されれば、その階級的内実は間われない。対立する党派・潮流の労働運動解体のための「のりこえ戦術」の適用−「イデオロギー的のりこえ」の「物質化」としての「組織づくり」の成否で正当化もされ、否定もされる。そこには黒田の反革命思想をもった革マル分子が増えさえすれば、その階級的内実は問われないという組織主義の反革命的徹底底性がある。

 第四に、権力・資本の力を利用しての組織拡大、反対派をテロルで解体しての組合権力の奪取、階級的内実を問わない紙織拡大の自己目的化は、当然にも権力・資本の合理化と刑事弾圧に対抗する力をその内部に生みださない。権力・資本が革マル排除に乗り出すと、闘うことなくさらなる屈服と走狗化をとげ、これに反対する戦闘派のテロルによる解体をより積極的に革マルが担うことになる。戦争とファシズムの時代におけるこのような労働運動は、必ずファシズム労働運動、「大政翼賛会」に転落する。

 松崎のいう「積極攻撃型組織防衛論」が後に残すものは、大衆運動の廃墟化と革マルの白色戒厳令である。これはプロレタリア革命運動を敗北に導くものだ。

 われわれは革マルとの死闘戦のなかで、これにくり返し対決してきた。「敵の敵は味方」論であり、「向自的党派闘争論」であり、「のりこえの論理」であった。松崎が一九七〇年ころ「積極攻撃型組織防衛論」という造語で表現した国鉄労働運動破壊の理論は革マルの反革命党派闘争論の労働組合運動への適用にすぎない。黒田と松崎、革マル本体とJR総連革マルの一体性は、この点からも明らかである。

 逆に言えば、黒田は、松崎が国鉄労働運動の現場で実践した反革命的反労働者的な組合運動を、革マル労働運動論として一般化し理論化したといえる。松崎なしに黒田はありえなかったし、動労のない革マルは屁のようなものだ。階級闘争になんの影響も持てなかっただろう。口だけの空論家集団であり、日本階級闘争に悪さを働くにしてもさほどの破壊作用はなかったであろう。しかし、動労が国鉄分割民営化に舵を切ったとき、戦後日本労働運動が築いてきた闘いと団結が破壊的危機にさらされた。動労革マル解体戦−JR総連革マル解体戦は、日本における戦闘的革命的労働運動を組織するための不可避・不可欠の闘いであった。解放派はその闘いの先頭で、動労革マル−JR総連革マル打倒の闘いを切りひらいてきた。

 プロレタリア革命の勝利の展望をかけて、松崎−JR総連革マルの労働運動を解体しなければならない。

動労高崎の「働こう運動」と国労解体攻撃

 第二回で松崎が進めた「対案運動」についてふれた。「対案運動」とは、実際にはどういうものであったのか。

 『われらのインター』で動労高崎地本がおこなった検修外注化合理化への取りくみが紹介されている。

 検修外注化合理化は一九八〇年九月に提起された。従来検査係九十人、検修係百三十人でおこなっていた検修業務を外部委託して九三人工(にんく 文末注)にまで削減するという大幅な合理化−人員削減攻撃であった。

 この提案に対して国労高崎地本は「合理化絶対反対、検修外注化反対」の反合理化闘争として闘った。動労高崎地本は九三人工の合理化を受け入れたうえで、さらに当局が外注化しようとしている仕事も九三人工の合理化の枠内でこなせるから、その分を外注化せず直営でこなせ、と要求した。

 当局は合理化提案が通ったのだから動労高崎地本の逆提案を歓迎した。動労高崎地本がやったことは当局の合理化提案以上に働いて外注化が必要ないことを証明するというものだった。その分、合理化反対をかかげ闘っている国労組合員の働き口を奪い、動労への組織化を当局と一体となって進めるものだった。

 八六年七月、国鉄高崎鉄道管理局総務部長として高崎に赴任した宗形明は、動労高崎地不−動労革マルと組んで「陰に陽に『国労では新会社に行けない』と思わせることで、相当強引に国労高崎地本の組織を切り崩した」と語っている。

 動労革マルがおこなった検修外注化に対する逆提案は、「働こう運動」であり、国労つぶしであり、それを国鉄当局と組んでおこなったということである。検修外注化合理化攻撃に対して松崎−動労革マルがおこなった「対案運動」は、国鉄分割民営化攻撃のなかで、革マルの合理化への基本方針として全国で一般化され実行されていく。

 「対案運動」が「積極攻撃型組織防衛論」と組みあわさって国鉄職場で行使されるとき、”合理化に反対する構えで当局の提案以上に積極的に合理化を推進し、資本との蜜月関係を作りだしてその資本の力を背景として、合理化反対を闘う戦闘的労働組合を解体し、その後釜に革マルが人り込んで革マル組織の拡大を図る”という反革命労働運動が成立する。これこそ松崎−JR総連革マルが実行した反革命労働運動だった。

革マル労働運動論

 革マルは、合理化攻撃に対して闘う方針−反合闘争方針がない。

 一応、合理化とは「生産過程の客体的側面における合理化に見合った形態での主体的側面の合理化」であり、「反合闘争においては生産過程の合理化反対だけではなく、組合組織の防衛を反合闘争の課題としなければならない」とはいう。

 これが組合組織の防衛のためには、生産過程の合理化を受け入れていい、という方針につながる。革マル自身にとっては、反合闘争が闘う確信ではない。労働組合組織の防衛とその過程での組合内革マル組織の拡大が自分たちの確信になっている。だから反合闘争の中味は、社民や連合のそれとまったく変わらない、いやそれでいいのだというのが黒田−松崎が合理化について言っていることである。

 ここからかの悪名高き「A=B方針」が生まれる。

 反革命通信一二〇七号(九二年三月二日付)で「賃プロ主義者」=「長浜精一」はつぎのように言っている。

 合理化攻撃に対してあくまでもこれに反対して闘うという方針(A)と「冬の時代の労働運動」という情勢下で譲歩して合理化を認めるという方針(B)がある。分割民営化攻撃に対して動労革マルは「組合組織を守りぬくために自覚的に一歩後退するというような内容を持つ方針を、つまり、一歩後退しながらも前進するかまえを堅持するというような特別な方針」をとった。これを長浜は「A(=B)」方針と表現している。

 ところが、「組合主義的偏向」に陥った部分は、Aの部分を取り払い事実上Bの部分だけの方針に切りつめた(「A=B方針」)。つまり、反合理化で闘っても勝てないから、積極的に合理化を推進し当局の合理化攻撃の手先になることで延命しようとする産別革マルが続出したのである。長浜は「組合主義的偏向」に陥った産別革マルを、組織戦術を没却している、組織現実論の体得がなってない、と説教するが、「組合主義的偏向」に陥った産別革マルは、松崎がやったことをちょびっとまねただけであり、長浜が彼らに説教するなら、最大の「組合主義的偏向」は松崎ではないか、動労革マル(JR総連革マル)ではないか、なぜ松崎−動労革マル(JR総連革マル)には説教しないのだ、という反発が出てくる。

 しかし、革マルにはそれはできない。松崎とその背後にいるJR総連革マルが革マルの本隊なのであり、革マルの組織力はすべて彼らに頼っている。組織財政も、機関紙誌や黒田本の売りあげも、政治動員もすべてJR総連革マルがいるから成立しているのである。まさに「背に腹は代えられない」のだ。

 黒田亡き後は、松崎が革マル組織の事実上のトップとなった。六三年革共同第三次分裂当時の政治局員は黒田が死に、森茂が失脚し、松崎しか残っていない。残された植田や前原などの政治組織局員が束になってかかっても、松崎ひとりに対抗できない。

 その松崎が死んだ。JR総連革マルにとって、また革マル組織そのものにとって、その穴は誰にも埋められない。二・一一報復、革マル解体・絶滅戦の好機である。革命的テロルで打倒せよ。

革マル労働運動批判

 松崎が体現した革マル労働運動は、労働者階級の解放に敵対し、権力・資本の側にたって労働者階級の闘いを抑圧・鎮圧して資本の鉄鎖により強く繋ぎとめる運動である。

 第一に、革マル労働運動は、「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業である」− この解放派が復権させたマルクス主義の核心、これへの根底的な背反である。本質的に”労働者階級の外にある革マル組織(=前衛党)が労働者階級の内部に向かって組織戦術を行使し、労働者階級の「内=外」に革命的フラクション−革マル組織を作りだす”という、レーニン「外部注入論」に立脚しつつも、労働者階級の闘いに対する寄生性、抑圧性のより強固にされた前衛党組織論がそこにはある。

 第二に、権力・資本との闘い(反帝闘争)をとおして団結を作りだすという闘争と団結の論理−階級形成論をふまえた党建設の論理がゼロである。行動委員会運動を組織し闘う現場の労働者の戦闘性・革命性を自主的・発展的な形でひき出し、その力をもって既存の労働組合を階級化・革命化させ、革命的階級として労働者階級総体を形成していく、その闘いと団結の論理が皆無である。あるのは、組織現実諭であり、その具体化として「A=B方針」であり、「敵の敵は味方」論(権力・資本の革命的利用)であり、「他労組解体(他党派解体)」論である。こうして革マル労働運動論が”首尾一貫した反革命労働運動論”であることがわかる。

 第三に、本工主義・職能別主義であり、「非正規」労働者、「寄せ場」労働者失業労働者の闘いに対する侮蔑・嫌悪を組織する労働運動である。

 第四に、被差別大衆に対する差別主義であり、外国人労働者に対しては排外主義の労働運動である。

 かつて狭間同志はつぎのように言った。「動労みたいな労働運動だけは作ってはならない。何千、何万の労働組合であっても、敵の手先である動労みたいな労働組合は、権力・資本の攻撃の前では一瞬にしてつぶされる」と。動労革マル−JR総連革マルの労働運動を、労働者階級解放の展望にかけて、なんとしても革命派の手で解体しなければならない。そうでなければ、動労革マル−JR総連革マルの労働運動のあだ花のもとには、労働者運動の死に絶えた廃墟しか残らないだろうからである。

革マル解体・絶滅戦とJR総連革マル解体戦

 革マル解体・絶滅戦の第一の意義は、革マルを反革命として析出させ、その反革命の打倒を闘いとったこと自身である。

 第二に、七〇年代から八〇年代の党建設を、革命期に対応して革マル解体・絶滅戦を基軸的任務とする党建設として闘いとったことである。

 第三に、本格的な建軍武装闘争を対革マル死闘戦のなかから開始し、先進帝国主義国における権力打倒の闘いとして闘いとった。八八年本格的権力闘争の飛躍は、対革マルの流血の死闘戦がなければ、ありえなかった。

 第四に、国鉄分割民営化攻撃との闘いにおいて、戦闘的国鉄労働者の絶対反対の闘いと結びつき、革マル打倒の国鉄戦線における闘いを組織したことである。

 第五に、差別主義・排外主義徒党−革マルを打倒する闘いを、被抑圧人民・被差別大衆の差別・抑圧を許さない闘いとともに闘いぬいたことである。

革マル解体・絶滅戦の課題は第一に、同志中原を守りえず、七七年二・一一虐殺テロを許したことである。これは日本および世界の階級闘争・革命闘争にとっての痛恨事であった。党最高指導部の防衛は革命運動の死活に直結する。反革命革マルは対立党派指導部の虐殺をあらゆる手段を行使して狙っている。「あらゆる手段」にはスパイ戦術および「敵の敵は味方」=「権力の革命的利用」という手法をふくむ。これに対抗し粉砕できる革命党の側の革命的飛躍・再編が不可欠である。

 第二は、黒田(−松崎)を打倒できなかったことである。敵最高指導部の防衛ラインを突破して、はじめて黒田(−松崎)打倒は可能であった。黒田(−松崎)はいずれも権力の手のひらで死んだ。反革命革マル指導部の打倒は、革マルのみならず敵権力の革マル指導部防衛網をうち破ってしか戦取できない。そのための軍事的力量の獲得と、二・一一報復貫徹、革マル解体・絶滅戦をみずからの第一級の革命的任務として闘う革命党建設が無条件に必要である。

 第三に、二・一一報復貫徹、革マル解体・絶滅戦の苛烈な推進は、反内糾差別主義集団の革マル解体・絶滅戦からの逃亡を生みだした。またその後も、関西西原グループ、木元グループの(本格的権力闘争と)対革マル死闘戦反対を旗印とする脱落・敵対を生みだしてきた。労働者階級解放の事業の綱領的敵対者、差別主義・排外主義の反革命集団=革マルを解体・絶滅することこそ、革命党の任務である。また、労働運動、被抑圧人民・被差別大衆解放の闘いの勝利は、革マルとの死闘を闘いぬくことぬきにはありえない。革マル解体・絶滅戦と労働者階級解放、被抑圧人民・被差別大衆解放の闘いは、相互前提的であり、相互規定的である。互いに強めあい、一方の前進が互いの前進につながるし、またその後退は他方の後退をもたらす。

 JR総連革マル解体戦の第一の意義は、JR総連革マル分子を打倒すること自身である。革命軍は八〇年の小谷せん滅戦で動労革マル解体戦の先鞭をつけ、荒川、田中、中村と連続的にせん滅することをとおして、JR総連革マルを運動的崩壊と組織的危機にたたきこんだ。神戸謀略運動の破産は、JR総連革マル解体戦が革マルに強いたものであり、JR連合の離脱、嶋田グループとの分裂が発生して、JR総連革マルに運動的組織的危機を強制してきた。

 第二は、JR総連革マル解体をとおして、革マル組織そのものに深刻な打撃を強制してきた。JR総連革マルの「酒とゴルフの労働運動」にならう産別革マルが生みだされ「賃プロ主義者」の台頭と粛清の組織的危機を生みだした。「松崎は革マルではない」「JR総連革マルは革マルではない」というデマ運動の組織化は、JR総連革マル組織の運動的組織的破綻と革マル組織そのものの衰退を招いた。

 第三に、JR総連革マルせん滅戦は、JR資本によるJR革マルに対する使い捨てを生みだした。松崎は絶望死した。JR革マル組織は権力・資本との闘いをとおして作られた組織ではない。使い捨て攻撃に対抗できる内容はない。JR総連革マルのいっそうの走狗化とよりいっそうの標的化が進行している。

 JR総連革マル解体戦は、苛烈に闘いぬかれたが、松崎打倒を闘いとれなかった。松崎に対する権力の防護はすさまじい。権力の壁を突破してしか、松崎に刃が到達することは困難であった。権力の反革命治安体制にとっての、またJR資本のJR労働者に対する抑圧・支配にとってのJR総連革マルの反革命的重要性がこの点でも明らかである。

反革命革マルを解体・絶滅せよ

革マルの危機

 JR総連革マルはJR資本による使い捨ての危機にある。自治会非公認化と学生会館からの革マルボックスたたき出しで早稲田大革マルは拠点喪失の危機にあり、学生革マルも大阪経済大や沖縄国際大など地方拠点大学の失陥が続いている。沖縄革マルは九四〜九五年問題=沖縄革マルの集団脱走の組織的打撃を回復できていない。「私の後継者は組織そのものだ」と語った黒田は、スターリン主義組織の常としてナンバーツーを排除してきた。黒田死亡後の革マル中枢には、こうして課題山積の革マル組織を束ねていける力を持った指導部は不在である。

 革マルの解体的危機をとらえて、いまこそ革マル解体・絶滅の革命的テロルをたたきこめ。

革マル解体戦総決起を

 いま革マルは、朝鮮反革命戦争突撃下の反革命として、対朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、対中国排外主義を扇動し、解放派に対する組対法−破防法型弾圧に乗じて、三・一一東日本大震災後の冶安弾圧強化の先兵として自衛隊・警察応援団となっている。

 三里塚、狭山、国鉄、沖縄の闘いは、反革命革マルとの闘い、その解体打倒をもってしか、戦闘的大衆運動として一歩前に出ることはできない。日本階級闘争は革マルとの闘いのなかから、このような戦闘的で大衆的な闘いを生みだしている。徹底してこの闘いの戦闘的推進力として闘いぬくことをとおして、戦闘的で大衆的な闘う拠点の建設を対革マル死闘戦のなかから闘いとらねばならない。

 革マル中枢、白色テロ部隊、JR総連革マルのせん滅を闘いとれ。二・一一同志中原虐殺の敗北をこえる革命党指導部防衛の闘いの飛躍を闘いとろう。同志中原虐殺報復、革マル解体・絶滅戦の総決起にむけて、革マル批判の思想闘争と学習活動を重ね、対革マル死闘戦を闘いぬく組織戦をもって革マル打倒の戦意と組織的集中力を鍛えあげ、反革命革マルを革命的テロルで打倒しょう。

対革マル戦逃亡分子=木元グループ

 木元グループの九九年五・四〜五革命党本部襲撃は、そうなれば革マル解体戦が困難になりもっとも喜ぷのが権力と革マルであることを十分わかったうえで しかけられた解放派分裂・破壊攻撃であった。

 「ゴスペルと闘わなければ革マルとも闘えなくなる」という、五・四〜五直前の解放派分裂・破壊への警告的批判は、まさに図星だったのだ。

 こんにち木元グループは、「松崎は革マルではない」「JR総連・松崎革マルは革マル中央から離反・分裂した」とキャンペーンしている。

 浅子の書く「革マル批判」は、革マルからの情報や嶋田グループなどのインターネット情報、動労と組んで国労高崎つぶしに奔走した宗形明の怪しげな情報(警察、JR資本からの情報)などに依拠し、すべて「松崎は革マルではない」「JR総連・松崎革マルは革マル中央から離反・分裂した」という視点から整序し直した雑文にすぎない。

 最近の「崩壊」九七六号(六月十六日付)でも「松崎は革マルではない」「JR総連・松崎革マルは革マル中央から離反・分裂した」論を維持しているが、われわれの「松崎は革マルとして死んだ」「JR総連革マルと革マル中央は、同じ革マル。役割分担にすぎない」という暴露・批判に浅子はグラグラになりながら「離反・分裂」論はアリバイ証明的にこっそりと一回しかふれていない(〇七年ころの浅子「革マル批判」雑文中では、四回も五回も「離反・分裂」論を書いている)。

 松崎は思想的にも,の弟子」であることを自認していた。革マル中央は決して松崎を批判せず、「会長」=松崎擁護で首尾一貫していた。両者は革マル中央派の反革命暴力と松崎−JR総連革マルの財政・機関紙誌購入・動員力などの相互利用にとどまらない。党派としての革マルと一体であり、両者の違い・対立には、党派活動と党派の影響力の強い組合活動の間にあるどの党派・潮流でもある「役割分担」以上のことは、存在しない。

 それを「離反・分裂」したとでっちあげるのは木元グループにでっちあげる利害があるからだ。

 それは、対革マル戦を闘わない利害、革マルと共存して大衆運動を平穏に展開したいという利害、木元グループ解体戦を戦略的課題として公然とかかげ五同志虐殺に報復すると宣言している解放派に対して革マルに守ってもらいたいという利害、対革マル死闘戦を戦わないことをもって国家権力に選別的に庇護され解放派への弾圧をこいねがうという利害である。

 その利害の帰結は、「JR総連革マルは革マルではないから打倒しない」ということであり、これはJR革マル解体戦をその重大な戦場とする革マル解体・絶滅戦の戦略的放棄を意味する。

 革マル解体・根絶戦を徹底して闘いぬきその戦果をもって、言葉の本当の意味で対革マル戦逃亡分子である木元グループを、報復・根絶の革命的テロルで打倒しよう。

 二・一一同志中原虐殺報復、革マル解体・絶滅の闘いにたち、革マル中枢、白色テロ部隊、JR総連革マルを打倒しよう。

注 人工とは

 労働者一人あたりの労働量を基準=1として、ある仕事の量を算出するもの。一人あたりの労働量=労働生産性が変われば、それにしたがって基準も変わる。資本は不断に合理化・労働強化の攻撃をかけてくる。たとえば資本が「100人工の仕事を93人工にする」と言った場合、それは仕事量を七%減らすのではなく、”百入分の仕事を九十三人でやれ”という意味。人員削減合理化で労働者の人数は減っても仕事量は減らない。先の例では、労働者にとっては七・五%強の労働強化となる。動労革マルはこのような国鉄資本の攻撃を、「働こう運動」=自分たちの「働き度を高める」ことをもって受け入れた。



 (→ 第2回 松崎(革マル)の動労−JR総連の反革命支配とその破産 )


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