万国の労働者団結せよ!
発行者 現代社

東京都杉並区下高井戸1-34-9

革命的労働者協会
(社会党・社青同 解放派)

【解放 1020号 (2013/1/1) 《年頭論文》 】【 以下、無断転載・無断作成 】



はじめに
第1章 世界恐慌の深まりと反革命戦争の突撃
第2章 総翼賛化とファシズム的改編攻撃
第3章 2012年の闘いの地平と飛躍の課題 革労協の自己批判
第4章 朝鮮反革命戦争と対決しファシズム粉砕−プロレタリア権力闘争の飛躍へ
第5章 2013年の闘いの方針
第6章 恐慌−戦争・ファシズムと対決し、総「非正規」化・賃下げ攻撃を粉砕しよう
第7章 共産主義的労働者党建設、プロレタリア統一戦線−闘う共同戦線の建設、プロレタリア解放−全人民解放へ
第8章 同志中原虐殺報復−反革命革マルを解体・絶滅せよ
第9章 五同志虐殺報復−木元グループを解体・根絶せよ



第八章 同志中原虐殺報復−反革命革マルを解体・絶滅せよ

同志中原虐殺報復36カ年の革命的テロルを

 反革命革マルは一九七七年二月十一日、革労協の最高指導者・比類なき共産主義者=中原一同志を襲撃し、ピッケル様の凶器で頭部のみを狙い虐殺した。

 革労協は同志中原虐殺に対する報復戦を宣言し、四・一五革マル政治組織局常任(実質的書記長)藤原ほか四名一挙打倒戦闘を突撃路に、二・一一報復戦の嵐のような革命的テロル戦闘を連続的に闘いとった。九六年五月十四日、国学院大革マル七名をせん滅し早大革マル五十嵐修を完全打倒した戦闘まで、せん滅につぐせん滅の死闘戦を積み重ねてきた。五十嵐打倒戦闘は六月二十六日、黒田に議長を「辞任」させ、革マル中枢を破壊する一撃となった。

 九九年五月四〜五日、木元グループは革命党本部襲撃・占拠をこころみ、撃退された。木元グループの解放派からの敵対・逃亡は、本格的権力闘争路線の破壊と同志中原虐殺報復−革マル解体・絶滅戦の清算・破壊をその主要な動機の一つとする反革命であった。

 革労協は、木元グループによる革マル解体・絶滅戦の破壊策動という敵対を粉砕して、かならずや反革命革マルを解体・絶滅し同志中原虐殺報復をなしとげる。

 二〇〇六年六月二十六日には黒田を、一〇年十二月九日には松崎明を、むざむざ畳の上で死なせた。同志中原虐殺の指令者、革マルテロ部隊の「司令官」(黒田の自称)という最大の標的を失ったが、革マル解体・絶滅戦の完遂はいまだならずであり、革マルの日本階級闘争に対する敵対・破壊はますます強まり、その解体・絶滅の革命的意義は拡大している。

 同志中原虐殺報復三十六カ年の一三年年頭にあたり、同志中原虐殺報復−革マル解体・絶滅の徹底的な推進と、残存下手人を中心に、革マル中枢・テロ部隊・JR総連革マルを総せん滅する闘いに決起しよう。

排外主義の先兵=反革命革マル  革マルは、沖縄−日本「本土」の労働者・人民が、帝国主義軍隊解体・基地解体、朝鮮反革命戦争粉砕、日米安保粉砕を闘うことに恐怖し、この闘いを日共と同レベルの議会主義的「安保破棄」談義にひきずり下ろすことに汲々としている。昨年の「反革命通信」号外(九月九日付)には、メインスローガンとしてぬけぬけと「安保破棄」をかかげている。「安保粉砕」と言わずに「安保破棄」を主張するのはなぜか。日共とまったく同じで、国会において日米安保条約の破棄を決定して、アメリカに通告しよう、ということである。

 「安保破棄」にはそれ以外の意味はない。そのために、JR総連−松崎防衛隊であった田城郁が民主党内原口グループや小沢一郎グループにすがりつき、これらの勢力が「反米」を主張することを願望するものである。実際、革マルは野田連合政府を「”対米隷従”の野田政権」と言ってはばからない。「対米従属だからよくない」という日帝の免罪論である。

 反革命革マルはなんのためにこんな主張をするのか。「帝国主義的軍事同盟の法的根拠をなす安保条約そのものの破棄という主張にそのいっさいがある。安保条約は、日米の同盟関係(反革命目的において日米のブルジョアジーが結びついている関係)の法的表現なのであって、その現実は米軍の日本への配備、自衛隊と米軍の一体化、そして沖縄差別を根拠とした沖縄の米軍基地の集中である。

 ましてや、在沖米軍基地は日米安保条約を「法的根拠」にして形成されたものではない。在沖米軍基地は第一に、沖縄戦をとおして沖縄を占領した米軍が占領下で建設したものであり、第二に、日米安保条約成立(一九五二年サンフランシスコ「講和条約」締結と同時に締結された)以降も沖縄は米軍政下に置かれ、そのもとで「銃剣とブルドーザー」による土地強奪−基地建設がさらに拡大した。そしてこの基地・沖縄が七二年「返還」によって日帝支配下に置かれた、日本全土の米軍基地の八〇%が集中している現状が固定化されているのである。

 反革命革マルによる「法的根拠」主張は、沖縄戦と米軍による沖縄占領を免罪し、日帝・天皇ヒロヒトによる沖縄の米軍政下へのたたきこみを容認し、そのもとでの土地強奪−基地建設、米軍による蹂躙という現実に対して労働者・人民が実力で決起することを阻止するための主張なのだ。

 そして現在の日帝の排外主義攻撃に対しては、「中国が……アメリカ帝国主義からこの地域の制海権を奪取することをたくらんでいる」ことが原因だと、日帝・米帝の戦争突撃と排外主義攻撃に完全に唱和している。

 日帝の排外主義攻撃の尖兵、階級闘争への敵対・破壊を策する反革命革マルを解体・絶滅しよう。

世界恐慌を否定する反革命革マル

 現在の世界恐慌を、反革命革マルは「世界金融恐慌に発展しかねない様相」と言い、世界恐慌であることを必死で否定する。そしてこの世界恐慌が資本制生産様式そのものの危機の発現なのではなく、ブルジョアジーの政策の失敗による、と言いつくろおうとしている。

 典型的な主張を引用する。

 「反革命通信二〇五〇号(二〇〇九年一月一日付)論文で、反革命革マルは、黒田寛一の主張を引用して、「国家独占資本主義」について「一九二九年恐慌の独占ブルジョア的のりきり」をもって生み出された「帝国主義の政治経済的諸矛盾の解決の新しい形態」であり、このケインズ政策が「金融恐慌爆発防止の仕組み」であると激賞する。そして九〇年以降のレーガン、サッチャー、中曽根による「新自由主義」政策によって「公的部門の肥大化や社会保障支出の増さを転換することで、この「金融恐慌爆発防止の仕組み」を「米・欧・日の帝国主義諸国はぶちこわしてしまった」と言う。

 つまり、現在の経済危機は国家独占資本主義の政策展開の失敗の結果なのであり、ブルジョアジーが正しい国独資政策を展開すれば解決するという、きわめて限定された危機だと描き出そうとしているのだ。

革マル−JR総連革マルを せん滅せよ

 革マルが「反革命通信」二二三九号(十月十五日付)に松崎−動労革マルを賞賛する雑文を掲載した(「筑後大介」署名 「大衆運動主義との対決 五十年前の苦闘を学ぶ」)。

 この雑文の中で筑後は、「動労内の革命的労働者」「わが国鉄委員会の先輩労働者同志」と記し名前は明記しないが松崎とわかる表現で松崎を革マル指導部として公然と賞賛している。

 「教組」黒田が松崎の「動力車運転保安闘争における労働者同志たちの組織的突撃を「理論化」して「運動=組織論の開拓」を実現したのだ、この「かけがえのない諸先輩の苦闘」に学び、来年の「革マル派結成五十年を力一杯たたかいぬこう」と、筑後はよびかける。

 ところで「築後大介」は、反革命通信一二六六号(一九九三年五月三日付)でもJR産別を指導する中央労働者組織委員会の指導部として登場している。そこで筑後は、動労革マルの国鉄分割民営化攻撃に対する裏切り・敵対方針を反革命的に「理論化」した、かの悪名高き「A(=B)」方針(「特別な条件下では、○○合理化反対という方針(=A方針)を掲げながらも、事後的には、一定の条件をうけいれることになる(=B方針)、というような形式的構造において組合方針を提起する」)を革マル「国鉄委員会」=松崎の理論的業績として積極的に評価し、この裏切り方針をほかの革マル産別でもならうべき革マル労働運動の理論的地平としてつきだした。

 この間、反原発闘争やオスプレイ配備反対闘争などで、革マル本隊とJR総連革マルがいっしょにスクラムを組み、ひとかたまりの部隊として登場し集会・闘争を破壊しようとしている。反革命通信では一二年四月以降、JR総連を戦闘的労組として称揚する記事が継続している。

 これらは、松崎を革マル指導部として公然とおし出し、JR総連革マルが党派としての革マルの本隊そのものであることを公然と認めたということである。

 その理由は、JR総連革マルがその最大拠点=JR東労組で革マル反革命支配の危機に瀕しており、死んだ松崎の「威光」にすがりJR総連での革マルの党派性を「濃化」した展開でこの危機を突破しようとしているからである。

 二〇一二年二月には、浦和電車区事件(浦和電車区で組合員に退職強要した件で、JR総連革マル七名が逮捕・起訴され、「自主退職」した一名を除く六名が解雇された)での七名全員の有罪判決が最高裁で確定した。さらにJR東日本は一二年にはいり、新人事・賃金制度、駅業務外注化、検修外注化の三つの合理化攻撃をJR職場にいっせいにかけてきた。その過程でJR東資本はJR東労組をこれまで特権的に扱ってきた職場慣行を一方的に撤廃し、会議室の使用や職場掲示板の設置などを禁止する措置を決めた。恐れをなしたJR東労組革マルは早々にこの合理化攻撃をうけいれた。JR総連革マルは、JR東資本と国家権力のさらなる走狗となることで延命しようと画策したのだ。六月二十六日の東労組大会直前には、三つの合理化攻撃すべてをうけいれ妥結するにいたった。

 この過程がちょうど、革マルがJR総連革マルといっしょに闘争破壊に登場し、反革命通信でJR総連との共同行動を公然と誇示する記事を書きはじめた時期と重なっている。そして今回「築後大介」が二十年ぶりに反革命通信紙上に登場し、公然と松崎と動労革マル=JR総連革マルを賞賛した。

反革命革マルに解体・絶滅の猛攻を

 わが同志中原一が反革命革マルに虐殺されて、この二月十一日で三十六カ年をむかえる。

 日本階級闘争の階級的・戦闘的・武装的発展を阻止することを「党是」とし、虐殺によってのみ延命を図る反革命革マルを決して延命させてはならない。反革命革マルを解体・絶滅する闘いはすべての闘う労働者・人民の避けて通れない任務であり、対革マル戦をとおしてこそプロレタリア・共産主義革命にむかう党と戦闘的大衆組織の勝利と発展がかちとれる。

 六九−七〇決戦において権力と対決する新左翼諸党派の背後から襲いかかった革マルは、七五年六・二四反革命=「武装=反社会的集団」規定をもっての石井同志虐殺、指導部指名テロ−大量虐殺テロ(未遂)の凶行、七七年二・一一反革命=中原同志虐殺をもって、武装蜂起準備の破壊、共産主義者の虐殺と革命党の破壊を存在意義とする反革命へと転化した。

 われわれは、同志中原・同志石井虐殺報復戦を完遂し、反革命革マルを解体・絶滅する。

 植田、柳葉、前原、土門、朝倉、西條ら政軍中枢を打倒する。白色テロ部隊=「特行」を総せん滅し、学生革マルをせん滅する。JR総連革マル・産別革マルをせん滅・一掃する。



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